もしインターネットが世界を変えるとしたら



もしインターネットが世界を変えるとしたら



一九九四年から日本で急速に過熱しだした「インターネット」の流行は、その少しまえからアメリカで始まったインターネット熱の飛び火という側面が強いが、この日米共通のインターネット・ブームには、注目すべき大きな要因がある。
それは、一九九三年四月にイリノイ大学アーバナ・シャンペイン校付属のNCSA (The National Center for Supercomputing Application) から Mosaic というハイパーテキスト・ライクなアプリケーションがフリーソフトとして発表されたことだ。当初、それは、UNIXのX Window System上でのみ作動するものであったが、同年の秋には早くもWindowsやMacintoshでも作動するヴァージョンが発表された。これによって、それまで(NeXTには、NexusというMosaicのプロトタイプが存在したが、一般的ではなかった)無味乾燥なモニター画面に画一的な文字を打ち込まなければならなかったコンピュータ通信が、アイコンに似た「ポインター」をマウスでクリックするだけの操作で、しかも、それまでは、異機種間では通常(特別の操作をしないかぎり)文字だけのやりとりしかできなかったものを、一挙に画像・音・テキストを送受できる双方向のマルチメディア通信になってしまったのである。その後、Netscape Navigatorというブラウザも作られ、やがてそれが標準的なものとして浸透し、インターネットのマルチメディア化という現象をさらに加速させている。
コンピュータをインターネットに接続し、ウェッブページを覗けるようにするセットアップは、まだ誰にでも容易であるとは言えないが、このウェッブに載せるウェブページのプログラム(HTML言語による)の仕方そのものは、信じられないくらい簡易である。すでにそのためのオーサリング・ツールもあり、ワープロ並の簡易さでホームページを作ることができるが、自分で書いても、ハイパーカードなどよりもはるかに簡単に映像・音・テキストから成るページを作成できる。これほど簡易で表現力のあるマルチメディア・ツールおよび言語が作られたことはなかった。それゆえ、インターネットについて語る場合、Mosaic以前と以後とではかなり状況が異なるのである。
では、インターネットにおけるMosaicの出現とNetscapeの浸透は、どのような意味と射程を含んでいるのか? このようなインターネットの普及は、社会や文化をどのように変えるのか? インターネットが普及しつつある現況で、政治やオールタナティヴな諸活動は、どうのような変容を余儀なくされるのか?




わたしの理解では、今日のインターネットには二つのルーツが存在する。
ひとつは、グラスルーツ、つまりは民間の個々人がコンピュータを単なる計算機や情報処理機としてではなく、コミュニケーションのメディアとして使いはじめ、それがやがて狭義のパソコン通信に拡がっていくルーツである。この流れは、六〇年代後半までさかのぼれる。
もうひとつは、やはり六〇年代に、アメリカ国防総省のコンピュータネットから始まり、やがてその研究プロジェクトに関わる大学の研究機関にリンクされ、それが次第に州や国境を越えてさまざまなコンピュータ・センターと数珠つなぎに拡がっていった狭義のインターネットの流れである。
ワープロでもパソコンでも、それを単体で使用しているときには気づかないが、それを他のワープロやパソコンとリンクしてみると、コンピュータが人と人とを結びつける(あるいは対立を明確化する)メディアであることがわかる。それは、たとえばあなたのワープロで作ったフロッピーを他の人に手渡すとか、あるいはあなたのパソコンを古いワープロに(RS-232Cの)直接ケーブルでつなぐというような単純な例でもよい。すると、ただちにそれらが、ラジオやテレビのようにメディアであり、しかも最初から双方向のメディアであることがわかるだろう。
このことは、実は、二台のマシーンがなくても可能である。たとえば、あなたのワープロを公園や広場のような場所に放置し、通行人に好きなことを書き込んでもらう。そうすると、それまではあなたのモノローグの記録装置でしかなかったマシーンが、異なる考えやフィーリングを交換し、混ぜ合わせる場に一変するはずである。
実は、最初のパソコン通信は、このようなやり方で始まった。カリフォルニアのバークレイでリー・フェルゼンスタインが古コンピュータを人々に解放して、それを「電子掲示板」として使わせることを始めたとき、その後の(狭義の)パソコン通信の方向は決定した。フェルゼンスタインは、ここから近隣の喫茶店やスーパーマーケットなどの店先に置いたコンピュータを互いにリンクして「コミュニティ・メモリー」というネットワークを作るが、これは、パソコンネットのはしりであった。
この経緯ついては、スティーブン・レビーが『ハッカーズ』(邦訳、工学社)のなかで多くのページをさいているので、それを参照してほしいが、フェルゼンスタインが「コミュニティ・メモリー」のアイディアを思いつくきっかけをつくったのが、一九七三年に父親からプレゼントされたイヴァン・イリイチの『コンヴィヴィアリティの道具』(渡辺京二・渡辺梨佐訳、日本エディタースクール出版局)を読んだことだったというのは興味深い。「この本からインスピレーションを得て、フェルゼンスタインは、イリイチ、バックミンスターフラー、カール・マルクス、ロバート・ハイラインらの思想を具体化する道具を思い付いた」。
「コミュニティ・メモリー」は、最初から、既存の組織とは別種の自律したスペースを形成しようとする意志が強かったが、このような傾向は、その後に展開するパソコン通信全般に伝染した。インターネットとリンクするようになった今日でも、パソコン通信には、一面でどこか閉鎖的なところがあるのはこのためで、パソコンネット同士のあいだには、不干渉と無関心が同時に存在している。そのため、「コミュニティ・メモリー」のようにかたくなにその「初期精神」を守り抜こうとするネットは、八〇年代には利用者からあきられていった。わたしが、「コミュニティ・メモリー」を訪ねたのは八〇年代の前半期だったが、それは、バークレイらしい「おれらは勝手にやるぜ」風のすがすがしさはあったが、孤立的な雰囲気は否めなかった。
これに対して、インターネットは、最初から脱領域と既存領域の統合を目指して発展した。こちらは、パソコン通信とは違い、コンピュータに関する研究開発の機関そのものが、データの送受や連絡を高速に、遠距離でやろうという明確な目的をもっており、ネットの利用が即、高性能なコンピュータの開発や、通信プロトコール(コンピュータ自身が「会話」をかわすための信号的な取り決め)の研究につながっていたため、極限すれば、そこには、初めから地球規模で世界を電子ネットワークで覆ってしまうという観念が潜在していたわけである。
Internet Growth Dataによると、アメリカのインターネット人口が飛躍的に増加するのは、一九八八年の後半からである。そして一九九〇年を過ぎると、その増加グラフのカーブは、垂直の急カーブを形づくるようになる。この時期が、ちょうど湾岸戦争と重なるのは、決して偶然ではない。狭義のインターネットは、湾岸戦争で実際に使われた戦闘プログラムをサイバースペース上で駆動させ、ウォー・シュミレイションを行なう軍事ネットワークの発展と切り離すことはできないし、また、電子戦のためのさまざまな装置を開発するにあたって、厖大なデータやメールが、インターネットを通じてペンタゴン、研究所、企業の間でやり取りされたからである。
しかしながら、インターネットが、軍や企業の利益にしか役立たないと見なすのは一面的である。インターネットの浸透は、電子戦の技術の発達と無縁ではないが、そもそも、電子テクノロジーのおもしろさは、それが、つねに逆説をはらんでいることである。現にインターネットは、国家組織のなかから生まれながら、すでに国家の枠組みをはみ出してしまっている。




日本では、理工系の大学や研究機関が特殊なやり方で利用していたにすぎなかったインターネットも、いまでは、一般の利用者が増えつつある。すでにNiftyserveのようなパソコンネットは、百万単位の人々のあいだに普及し、これまでの「スネイル・メール」(郵便など)に対して電子メールを利用する比率が格段に増加している。こうしたパソコンネットは、いまやインターネットのバックボーン回線に接続されているので、「本格的な」インターネットと大差のないサービスを提供しはじめている。
インターネットは、それゆえ、従来の意味での「パソコンネット」と厳密な意味で区別できないところまできている。それは、むしろ、さまざまなネットワークが「ワールドワイド」に「ウェブ」状にリンクしあったものと考えた方がよい。そして、そこでは、パソコンネットの自律的・孤立的な性格が、グローバルに拡大しようとするインターネットの性格と融合することによって、逆にその孤立的な性格を払底させ、その自律的な側面が積極的な力を発揮する。他方、インターネットの方は、その侵略的・統合的な側面が、パソコンネットによって多元化され、均質的な方向に陥るのをまぬがれるのである。
しかしながら、これは、比較的小さなパソコンネットが無数にインターネットに接続される場合に可能なのであって、現実には、たとえばNiftyserveやConpuServeのように「パソコンネット」とはいえ、インターネットの商用プロヴァイダーなどよりもはるかに大きな企業と化していうようなところでは、それがインターネットと結びついても、パソコンネットとインターネットの合い異なる要素が融合して新しい――文字通りの「オールタナティヴ」な――メディア性を発揮する可能性は薄いだろう。
ここで言う「オールタナティヴ」(alternative)とは、ラファエル・ロンカリオが、「〈オールタナティヴ〉についてのノート」(ナンシー・セド/アラン・アムブロシ編『ヴィデオ――変革する世界』)のかなで述べた意味、すなわち、オールタナティヴ・メディアとは、「マージナル」や「マイナー」なメディアのことではなくて、「変革する」(alter) メディアのことである、という意味である。
すでにメディアのさまざまな部分でこれまで有効であるかに見えた「マス」対「ミニ」という対立という構図が意味をなさなくなっているが、インターネットは、まさに地球的規模のマス・メディアであると同時に、個々人が個々に発信できるメディアであるという点で、数千万人の「ミニコミ」であり、つまりは、ここでは、「マス」対「ミニ」という対立は意味をなさなくなっているわけである。
このような状況下では、すでに存在する小規模のパソコンネットが、積極的にインターネットに加入して、その回線をつないでいくことが重要であり、また、インターネットの個人接続した者が、その使用を自分だけにとどめずに、それを電話線を通じてさらに孫分けしていくとか、自分の「端末」を来訪した知り合いに積極的に使わせているといった試みがインターネットの能動的な側面を強化することになるだろう。少なくとも、インターネットの可能性にのみ注目するならば、以上のような言い方ができる。




 基本的な発想からすると、マルチメディアとインターネットは、同じ発想にもとづいている。つまり、マルチメディアもインターネットも、互いに異なる機能や回路・回線を連結・ネットして既存の境界をかぎりなく越え出ていこうとするからである。しかし、これらの二つの言葉が飛びかう足下の方を見つめてみると、そのようなかぎりない逸脱をはばむ条件の多さに驚かされる。
 マルチメディアの場合、最初に必要なことはメディアを情報のパッケージとみなす考えを改めることだが、現状では、テキスト・音・映像といった三つの異なるパッケージを総合したものがマルチメディアだという発想が依然として根強い。マルチメディアがおもしろい展開をするためには、テキストが単なる電子本などのような――単に紙を電子的なモニタースクリーンに替えただけの――パッケージであることをやめて、すでにそれ自体でこれまでの本の境界を踏み越えていなければならないし、同じように音や映像がディジタル化しただけでは、マルチメディアからは程遠い。
 くり返すが、マルチメディアは、決して、文字と音と映像を組み合わせたり、それらを統合的な環境のなかで操作するこによって可能となるわけではない。そうではなくて、文字が音や映像に、音が文字や音に、映像が文字や音に変容し、領域侵犯するときにマルチメディア化するのである。
 たとえば文字を映像化することをやってみよう。「粉」なら粉という文字を四ポイントぐらいづつ大きさをずらしながら二〇コマほどコピーし、アニメを作るソフトに流し込み、簡単な動画を作ってみる。こうすると、紙やモニタースクリーン上で見るときに「粉」という一つの統一体として見えたものが、「米」と「分」とがダンスをしながら「粉」とは全く別の意味作用を表示しはじめるのである。
 同じことが、文字と音との関係についても言える。いま、文字テキストを読ませるソフトが普及しており、校正作業に用いられたりしているが、このコンピュータ・プロセッシングの過程で行なわれていることは、マルチメディア本来の発想からすれば、テキストに音声を加えることであるよりも、テキストの音声化――領域侵犯――であって、ここでは、文字が紙やモニタースクリーンの上で提示する記号体系とは別のものが提示されているこに注目しなければならないのである。そのことは、読み取りのスピードや声質を「異常」なレベルに変えてみるときにはっきりする。そして、このとき、文字テキストとしてはありきたりの意味しかもっていなかったテキストが、驚くべき音楽性を発揮したりするのであり、それまで既存領域にとどまっていた一つのメディアがコンピュータによって解体され、マルチメディア化するわけである。
 通常、わたしたちは、マルチメディアを、テレビの高度化した装置のようなものとして考えがちである。しかし、テレビの場合、その映像と音との関係が単に平行的にしか、あるいはたかだか相補的にしかとらえられておらず、両者が互いに相手の領域を侵犯しあうものとはみなされていない。が、マルチメディアにおいては、文字・音・映像は互いに相手を侵略しあうのであり、また、その意味ではごく普通のテレビ受像機であっても、立派なマルチメディアになるのである。
わたしの考えでは、マルチメディアにかぎらず、「マルチ」なものはもう古いのだと思う。多国籍企業は「マルチナショナル」であるが、いまの企業は「トランスナショナル」化している。かつて多くの分校や研究所をもつ大規模な大学のことを「マルチヴァーシティ」と言ったが、こういうものが「巨大団地」と同様に、いまやどうしようもないものであることは誰でもが知っている。そういえば、「マルチパーラ」(多産系の女性)も過去の存在になった。そもそも、「マルチ」という言葉には、すでにばらばらになっているものを寄せ集めれば何か新しいことが生まれるといったセコい精神がひそんでいる。
 わたし自身に関して言えば、インターネットのメールで映像・音・文字が一体となった「マルチメディア」のメールをやりとりしてみると、旧来の電話や文字通信よりははるかにおもしろいという気はするが、この多重化がさらなる多重化を促進するという風には思えないのである。マルチメディアとは、それだけでは、これまでのメディアの総合であり、終末ではないのか?
アートの世界では、一九六〇年代から「マルチメディア」があたりまえだった。ジョン・ケージや FLUXUSのアーティストは、「インターメディア」という概念を提起した。「インターメディア」とは、ディック・ヒギンズが『インターメディアの詩学』(国書刊行会)で言っているように、「二つないしそれ以上の現存のメディアを融けあわせようという欲求」であり、「コラージュ、音楽、演劇の間の未踏の地として発展してきた」。が、このことは、インターメディアやマルチメディアが「マルチ」な表現を自動的に約束してくれるということでは全くではない。アートにとってはメディアはもともと「マルチ」で「インター」なものであり、ヴィデオだからといって見えるものしか相手にできないというわけではなく、またラジオも、聴覚の表現に限定されるわけでなく、視覚や触覚や味覚の世界をも同時に表現してきた。
その意味では、メディアは、より適切には、「ポリモーファス」なものであり、メディアは「マルチメディア」よりも「ポリメディア」であるべきなのだ。したがって、「マルチメディア」は、そうしたもともと「ポリモーファス」な表現をより重層化してくれるかぎりで可能性をはらんでいるわけである。「マルチメディア・・・」というイヴェントでいつも失望させられるのは、メディアのこうしたポリモーファスな性格に関する思考が全く欠けているからでである。




ハイパーカードの発明者であるテッド・ネルソンは、かつて、「ハイパーメディア」を「ノンリニアー」なメディアと呼んだが、それをより本質的な意味に受け取るならば、「ノンリニアー」であるということは、非均質的であるということであり、さまざまな質的に異なる位相を持っているということである。「ハイパーメディア」という言葉が、いまはやりの「マルチメディア」よりも含蓄が深いのは、それが、メディアのそうした質的な度合いを表示しているからだ。
マルチであるかマルチでないかということは、同じレベルの差異の問題として受け取られがちである。そのため、マルチメディアとは、テキスト・映像・音をあつかうメディアのことだとされ、それならばマルチメディア対応のコンピュータを買えば、メディアをマルチ化できると考えられるのである。
しかし、「マルチメディア」の多重性(マルチプリシティ)を水平的・量的にではなく、垂直的・質的に取るならば、「マルチメディア」とは、一体、何と何とが「多重」になっているメディアなのだろうか、という問いが生じる。わたしの経験から言えば、メディア機器をいくら多様に並べたところで、その使い方が立体的でなければ、単一のメディア空間しか生まれない。われわれの知覚は、目が映像、耳が音、脳神経がテキストを分業的に知覚しているのではなくて、それぞれがまさに「総合的」なのである。従って、見たものが音や匂いを発することもあるわけであり、また、「マルチメディア」装置を大袈裟に設置しても、そこからはつまらない光線しか知覚できないということもありえるのである。
メディアをマルチ化できるのは、身体の突然変異的な――それまでのコンテキストや質を一挙に組み替える――自発的な能力であり、メディア装置に出来ることは、そのような能力を発揮できる条件を準備し、触発することでしかない。インターネットは、はたしてそのようなしなやかさをもっているだろうか?
現状では、インターネットに接続するためのコンピュータは、依然として、使用方法が複雑であり、身体の方がかなりの程度装置の仕組みとロジックに合わせていかなければならない側面が強い。それは、ヴァイオリンやピアノのような楽器が、「まともな」演奏のためには、かなりの習熟と努力が要求されるのに似ている。
しかし、身体性の解放とメディアとの関係は、メディアを身体化することでも、身体をメディアによって道具化することでもない。むしろ、身体が身体のままで、いわば「魔術的」に変容されること、そして、メディア機器の方は、そのプロセスのなかで、単なる機械としてのレベルを越えてしまうこと、こそが問題なのである。それゆえ、メディア装置は、身体に対して自分の方から過剰な要求をしなければしないほどよく、いわば「空気」のような存在になることが好ましい。しかしながら、このことは、メディアが「身体表現」を「ありのまま」に「表出」すればよいなどということを言おうとしているのではない。身体は、外部装置の「抵抗」なしには創造的な表現をすることはできないのであって、そのためにメディア装置を必要とするのである。問題は、そうした「抵抗」を生み出す「主体」は身体の側にあるということである。
だから、その意味では、メディア装置から要求されるかに見えるさまざまな労苦も、それが身体自身の表現過程の一つであると考えることができるならば、意味は全く違ってくる。しかし、事実は、ジョン・ケージの偉大な試みやFLUXUS以来のパフォーマンス・アートの蓄積にもかかわらず、一般的に、メディア装置の準備過程(セッティング)や習熟過程は、表現の本過程とは見なされないのである。その結果、メディア装置は、一面で、ユーザーに多大の習熟努力を要求しなくなればなる程、その使用可能性は単一化され、今度は、身体の側がそれを表現の創造性のために複雑な使い方をしようとしても、出来ないということになるわけだ(たとえば、テレビは、さまざまな潜在機能を持っているにもかかわらず、一定のパターンで受信する機能しかない。画面の色を好き勝手に変えることすら難しい)。




インターネットは、「地球人口のためのミニコミ」というような言い方をされることもあるが、このポストマスメディアティックなメディアに対しては、近代の諸概念は、操作的なやり方でしか作動できない。「グローバル」と「ミニ」は、近代主義的な概念としては、あい対立するが、まさにインターネットは、「グローバル」であり、かつ「ミニ」なのである。それゆえ、これらの概念は、いずれは解消されざるをえない。わたしは、近年、このような(操作概念的に言えば「グローバル」かつ「マイクロ」な)メディアを「ポリモーファス」という言葉で表現しようとしている。
ポリモーファスなメディアは、細胞のように自己増殖し、世界中の個々人の神経組織を互いにリンクするところまで進む。が、これは、「近代システム」にとっては根底的な脅威である。このため、「近代システム」は、この脱近代システムであるポリモーファスなメディアをそれなりのやり方で取り込もうとする。「近代システム」にとっては、地球規模に拡大したメディアに「ビッグ・ブラザー」が単一情報を流せることが依然として善であり、通常は、人工的に構築された「異分子」が適度の混乱によってネットワークをブロック化し、抗争や離反を恒常化させておこうとする。というのも、「近代システム」はそのような後退を操作する形でしか生き残ることが出来ないからである。
いま、インターネットが普及しはじめたなかで、社会的動向が、すでに、それぞれに細かく自律したポリモーファスな単位の個人が相互にコミュニケートしあい、従来とは異質のコミュニティをつくるよりも、むしろそのような動きを抑止する方向に向かい始めているのは偶然ではない。VRMLやHotJavaなど、可能性に満ちたインターネット・テクノロジーアプリケーションを駆使しているのは、依然としてプロ集団である。アマチュアは、インターネットをもっぱら「受信」のためばかりに使っている。 ここから、予測されるのは、インターネットが単にチャンネル数の多いテレビのようなものになることだ。「双方向」メディアとか言っても、それは、単にチャンネルを豊富に選択できるというにすぎない。アメリカですでに知られているように、衛星テレビやCATV が普及してチャンネル数が厖大になっても、視聴者――受動的なメディア文化にどっぷり漬かった「受け手」たち――は、最初は「チャンネル・サーフィン」も試みはするが、やがては限られたチャンネルの単なる「受け手」に落ち着いてしまうのである。
インターネットは、「万人を(単なる受信者ではなく)発信者にする」というが、実際には、ウェブページの数が増えれば増えるほど、おもしろくなればなるほど、発信するという性格が薄れ、結局は、ラジオやテレビと同じように、ユーザーを単なる受信者にしてしまう恐れもある。
こうしたディレンマは、発信か受信かという二者択一的な解決方法では乗り越えられないだろう。さいわい、インターネットのウェブページには、リンクという重要な機能がある。これは、あなたが作ったウェブページを他の人ないしは他の組織のウェブページに連結する機能であり、これによって、あなたのウェブページにアクセスした人が、よそのウェブページへの通路を発見して、そこへ飛んでいく機能である。あなたのウェブページがおもしろくなるかどうかは、そのページ自体の内容もさることながら、このリンクがどれだけ多様に張られているかどうかにかかっている。
しかし、リンクを張るためには、ほかで発信している人や組織を知なければならないし、彼や彼女らと信頼関係が成り立っていなければならない。インターネットは、本来、個人を核としているから、大きな組織が大金を積んでインターネットのサイトを作り、そこに豪華なウェブページを置くとしても、その場をつなぎ、その関係を広げ、いや、単に広げるだけでなく、質を高め、つねに新鮮なものにしていく魅力的な、ある種のパーティ・ホストがいなければならない。ちょうど、すぐれたパーティ・ホストがそれぞれに個性的な客同士を紹介して、そこに集まる人々とその場とを豊かで新鮮なものにするように、ウェブページにも、そうした才能とセンスが求められる。




インターネットは、つねに、国家を初めとする「近代システム」の規制や管理を抜け出てしまうポテンシャルをもっているわけだが、だからこそ、「近代システム」の側は、それが一定の枠を越えないように神経をとがらせている。が、このことは、NSA (National Security Agency 国家安全保障局)や CIAや財務省がインターネットでとりかわされる通信内容を監視し、上からの規制を加えようとしているからではない。また、性表現や政治的情報に対して、多くのインターネット・サイトが自主規制をしているからでもない。
それよりも、重要なのは、いま「体制」が一番神経を尖らせているのが暗号の問題であり、アメリカでは、暗号技術は依然として国家によって厳重に規制されている点である。そして、むしろ、この点から、最近のインターネットで強まっている「自己検閲」と「検閲」の意味も考えなければならない。
一九九六年二月八日にアメリカで成立した「新通信法」の付帯条項(CDA=Communication Decency Act、コミュニケーション品位法)には、「品位に反する」 (indecent) 表現をインターネットに流した者に対し、最高二五万ドルの罰金、二年以下の懲役を課す恐るべき条項が含まれている。また、テレビ番組で親が「極度に暴力的」と判断したものをあらかじめ使えないように設定できる「Vチップ」をテレビに装填することをメーカーに義務づける条項もある。
しかしながら、これらを、単に古いタイプの父権的・強権的な管理の復活であると見てしまうと、動向をとらえそこなうだろう。むしろ、これは、国家が暗号技術を独占しようとする動きの一環であると考える必要があると思うのだ。
人を国家の代理人にする文化や制度が強力になると、人は、無意識のうちに国家に好都合の価値や性向を選びがちである。ブルース・スターリングが『ハッカーを追え!』(アスキー出版局)で詳述しているように、アメリカでは、一九九〇年二月に最初の大規模なハッカー狩りが行なわれ、そうした動きに対する反対運動も高まった。ミッチ・ケイポアとジョン・P・バーロウによって電子メディアに対する抑圧に抗する「砦」としてEFF Electronic Frontia Foundation)が作られたのもそうした動きのなかであった。たが、それにもかかわらず、一九九〇年は、人を国家の代理人にする抑圧文化を浸透させる国家儀式のはじまりであり、CDAは、その最初の制度化となったのである。
暗号技術がなぜいまデリケートな問題であるかは、資本主義の現段階と深い関係がある。現在、インターネット上では、しばしば「デジタル・キャッシュ」の問題が議論されており、すでにオランダには「ディジキャッシュ」という会社を設立し、「ネット・キャッシュ」による「ヴァーチャルな支払サービス」をインターネットを使ってやろうとしている人物(デイヴィッド・シャウム)がいるが、このような動きは、言うまでもなく、資本主義の危機・変容・終末の問題に深く関わっている。




すでに、資本主義システムは、金とドルとの交換停止、グローバルな金融情報ネットワークの設定、プラスティック・マネーの推奨への誘導といった形でのサバイバル戦略をとってきた。言い換えれば、資本主義は、自己を「情報資本主義」として純化し、とらえなおすことによって生き延びようとしている。(「情報資本主義の支配構造」、「資本主義は情報資本主義だった」、『批評の機械』未来社所収)しかしながら、情報資本主義は、それが頼りにする情報テクノロジーの基本性格によって、資本主義そのものを維持できなくするところまで進む。それが、いまインターネットにおいても顕在化しているわけだが、そうした最終闘争の場が暗号技術なのである。
情報資本主義が、利潤増殖の回路をディジタル信号の流れにまで「純化」するにつれ、貨幣にとっての金(そしてその最終基盤としての労働身体)にあたる稀少性の拠り所をどこに置くかが決定的な問題になる。ハイパーな複製技術としてのディジタル・テクノロジーは、本来そうした稀少性を骨抜きにしてしまうポテンシャルを持っているが、暗号技術は、それに歯止めをかけることが可能である。すでにネットワークを通じたソフトウェア販売で使われているように、いくらでもコピー可能なネットワーク上の情報で利潤を得るために、そのコピーを稀少化するという方法がとられている。このテクノロジーのテロスに逆行する方法の横行こそが、いまの状況の逆説と皮肉を如実に物語っている。
こうした逆説は、コンピュータ業界では日常茶飯と化しはじめている。たとえば先述の Netscape Navigatorを作っているネットスケープ・コミュニケーションズ社は、いまや、インターネット業界の注目株の一つになっているが、その主力「商品」であるNetscape Navigatorからの直接の収益はわずかである。というのも、この会社は、それを惜し気もなくタダでバラまいているからである。が、そうした「気前のよさ」のおかげでこの社は、ブラウザ・ソフトの七〇%をおさえ、三〇〇万人のユーザーをもつところまでいった。一九九五年八月、その店頭株が公開されたが、投資家の関心は異常な程高く、最初一四ドルで出された株価が、一時間半後には七一ドルまではね上がったのだった。
だから、結果的に、ネットスケープ社は、Netscapeのフリーな配布で元をとったのだと見なすこともできるだろうが、それは皮相な見方だろう。重要なのは、いま明らかに、「儲ける」ということの意味が従来とは変わってきたことである。その点で、ネットスケープ社は、すでにこの新しい動向を体現しているとわたしは思う。
今後、ますます、通常の意味での利潤は、会社の直接的な仕事からではなく、付加価値や波状効果の方から生まれる傾向が強くなるだろう。ネットスケープ社はまさに、その主要な仕事は、少なくともこれまでは、WWWブラウザの製作と配布だが、実益の方は、その波状効果から生まれたある種ヴァーチャルな期待にもとづく投資から生じているのである。つまり、事業と実益との関係が、間接的・偶発的なものになってきている。すでにハリウッドの映画産業は、製作した映画からの直接的な収益よりも、コングロマリット化している産業の別部門からの収益に依存してきたが、Netscapeとともに起こりつつあることは、これとは根本的に違うのである。
その意味で、WWWブラウザが、最初、イリノイ大学のNCSAという非営利組織を通じて広まったこと、しかも、その普及が、その組織による強力な PR活動の結果としてではなくて、ユーザーたちがそのFTPサイトから自発的に取得し、自分のコンピュータにインストールするという形で進んだことは極めて重要である。というのも、世界(たとえ、それがインターネットという小世界であるとしても)をまず変えたのは、非営利の組織であり、これまでのように、営利を追求する大企業ではなかったからである。




近年、サービス産業の世界では、「ホスピタリティ」ということが強い関心を呼んでいる。画一的なサービスを提供していては、今後のサービス産業は生き残れないのであり、質の高いサービス、金に換算できないサービス、つまりはホスピタリティを提供しなければならない、というのである。
確かに、サービス産業の射程が深かまると、それが提供しようとするサービスは、値がつけられなくなってくる。高価なサービスがよいわけではないし、サービスの質は、個人的な好みや相性の問題を無視できない。ホスピタリティとは、通常、もてなしや看護の度合いを指す言葉であるが、いまこの言葉は、そうした通常の意味を越えて、公共的な人間関係の質を表すパラダイムになろうとしている。
ホスピタリティという言葉は、日本語環境のなかでは、まずホスピタル=病院を想起させるので、医者が病人をいたわるような関係を思い浮かべやすい。が、順序は逆で、ホスピタリティをある特殊なやり方で制度化した場所がホスピタル=病院なのである。だから、ホスピタリティの今日的な意味を理解するには、一旦ホスピタル=病院を除外して考えた方がよいだろう。さもないと、日本では、ホスピタリティが「思いやり」のようなものとして理解されてしまう恐れがある。
ホスピタリティは、「思いやり」よりももっと対話的であり、送る方も受ける方も積極的である。だから、サービス社会の向こう側にほの見える「ホスピタリティ社会」が今後どこまで成熟していくかは、ある意味で、インターネットが今後どのようなものになっていくか、非営利の組織がどのような影響力をもつようになるかということと無縁ではないのであり、むしろ、その辺から見ていった方が事態がはっきりするように思えるのである。


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一九九四年に、EFF (Electronic Frontier Foundation) のサイトで盛んに議論されていた話題に、「クリッパー・チップス」問題があった。これは、NSAがデザインした暗号化の集積回路(チップス)で、政府は、これを将来、全米の電話やコンピュータ・システムに装填し、「デジタル通信の機密」を保障するという。しかし、問題は、政府が、独占的にこのチップスの暗号解読の鍵を握り、また、今後は、すべての暗号技術をこのチップスで使われる暗号アルゴリスムで統一しようとしていることである。したがって、この新たな「連邦暗号処理基準」が適用されるようになると、現在存在する暗号技術は使用禁止になることはまちがいない。
すでにネット上には、数多くの暗号化ソフトが流通している。たとえば電子メールの暗号化に用いられているものでは、アメリカではRIPEM が、ヨーロッパでは PGP がそれぞれ有名である。前者は、RSA Data Security, Inc. が開発したアルゴリスムを使っているが、RSAはRIPEMの一般使用を認めているので、アメリカ国内では誰でも使えるが、国外に持ち出すのは、武器禁輸法に抵触する。後者は、RSAのアルゴリスムを無断で使用しているために、堂々とは使えないが、実際には多くのユーザーがいる。
米政府がこうした暗号ツールを統合管理しようとしはじめたのは、ハイパーな複製技術の出現によって危機にさらされている「近代システム」の最後の自己防衛のためからだけではなく、「近代システム」――それを越えるのではなく――に真っ向から対立するある種の「電子個人主義」への挑戦でもある。権力にとっては、脱近代の動きよりも、政府には解読不能な暗号システムを構築して独自の「プライベート」なシステムを形成しようとする力の方が怖いのである。
「サイファーパンク」(Cypherpunk)とは、ウィリアム・ギブソンが造語した「サイバーパンク」に「サイファー」(暗号)を引っかけて作られた言葉であるが、これは、暗号を駆使して既存権力とは別の権力を構築しようとする人々の一派である。インターネットのサイトには、このサイファーパンクに関するファイルやディレクトリーがいくつもあるが、一九九三年三月九日にエリック・ヒューズによって書かれた「サイファーパンク・マニフェスト」というのがある。これによると、サイファーパンクスにとって、最も重要なものが「プライヴァシー」であり、「暗号化は、プライヴァシーへの欲求を示すことにほかならない」。
「われわれは、政府、企業、あるいはその他の大きな、顔のない組織が彼らの慈善からわれわれにプライヴァシーを恵んでくれるのを期待しない。(・・・)われわれは、合流し、匿名的なトランスアクションを許すシステムを創造しなければならない。過去のテクノロジーは、強力なプライヴァシーを許さなかったが、電子テクノロジーは違う。(・・・)われわれサイバーパンクスは、われわれのプライヴァシーを、暗号、匿名的なメール転送システム、ディジタル・サイン、電子マネーによって擁護するだろう」。


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 メディア・アクティヴィストやハッカーのあいだで高い尊敬をかちえている特異なアナキストのハキム・ベイは、『T.A.Z.』(The Temporary Autonomous Zone=権力システムのただなかに打ち立てられた「一時的な自律ゾ-ン」) という小冊子のなかで、インターネットのようなトランスローカルなメディアを先取りしながら、「ネットワ-ク」に対して「ウェブ」という概念を対置している。ネットワークの「ネット」は、漁師の「網」であり、そこには、獲物を捕まえ、不自由にするという意味がある。だから、ネットそれ自体は、中心のない多様な線の交錯であるとしても、そこには必ず全体を操作する者が存在する。だから、ネットのなかには、必ず「カウンター・ネット」的なものが現われる。狭義のネットの例で言えば、ハッカーの活動、暗号化されたネット、軍事的なコンピュータ・ネットワークから生まれながらその枠(さらには近代国家の枠組みさえも)を越えてしまうインターネット等々を考えればよい。
ハキム・ベイが「ウェブ」と呼ぶのは、こうしたカウンター・ネットのことである。ウェブとは weave(編む)の名詞であり、手先(それぞれ自律した個々の身体)との関係を強く残している。また、ウェブには、蜘蛛の巣の意味もある。どんなに権威的な空間でも、そこの壁に蜘蛛の巣(おもちゃでもよい)をちょっと引っ掛けただけでその空間をはなはだしく異化できるように、ウェブは、同じ網状構造をもっていても、ネットとは機能が全く違うのだ。すでに、グリーナムコモンでバリケードを張った女性たちは、毛糸やボロ紐で作った蜘蛛の巣を軍事基地の柵や入口に結びつけて抗議の記しとしたが、それは「魔女の蜘蛛の巣」(ウィッチ・ウエブ)と呼ばれた。
ノルウェイ大学のインターネット・サイトには、ハキム・ベイの専用ホームページがあるが、そこには、上述の思想への脚注とも言える「恒久的TAZs」という文章が収められている。そのなかで彼は、資本主義は、すでに「Too-Late-Capitalism (遅すぎた資本主義)」であり、それはすでに「一九七二年に終わっている」とし、いまや、「必ずしもすべての自律的なゾーンが一時的であるわけではなく、(少なくともその志向において)大なり小なり〈恒久的〉なゾーンもある」ということに注意をうながす。そして、ゲリラ的・パフォーマンス的に「一時的」なゾーンを形成するだけでなく、そうした「恒久的」な自律ゾーンに執着してはどうかと述べている。それらは、一見、「マージナル」なものに見えるかもしれないが、それは、もはやかつての意味で「周縁的」なわけではないからである。
「あえて助言さえてもらえば、〈身近な〉メディアだけを使うことだ。すなわち、zines(ネットワーク上の電子雑誌)、電話網、BBS (電子掲示板)、自由ラジオ、ミニFM、パブリック・アクセス・ケーブルなどである。そして、いばりちらすマチョ的な対決主義の態度を避けること・・・」。
インターネットは、こうしたPAZ (Permanent Autonomous Zone=恒久的自律ゾーン) を〈ウィーヴ〉するトランス・ロカールな装置としては極めて有効なメディアである。それは、とりもなおさずインターネットのなかに絶えずTAZを忍び込ませることであり、暗号技術のような閉塞化の技術を内部から解体しつづけることである。これは、どのみち暗号技術に執着する国家(情報資本主義)ともサイファーパンクスとも異なる方向であり、電子テクノロジー自身の「本性」にうながされて資本主義そのものを越えようとする方向である。