●フェンタニル
date: 02/06/2014 23:50:20
2月2日にフィリップ・シーモア・ホフマンがウェスト・ヴィレッジのコンド"Pickwick House"(35 Bethune St, New York)で腕に注射器を刺したまま死んでいるのを発見された事件は、さまざまな波紋を呼んでいる。
直後に報道された薬物名はフェンタニル(Fentanyl)入りの「ヘロイン」だったが、現在は、〝通常〟のヘロインであったとみなされている。
フェンタニルとは、癌の痛みを和らげる鎮痛薬として知られているが、2002年10月23日にモスクワの劇場ドブロフカ・ミュージアムで起こったチェチェンの武装派による占拠を排除するためにロシア軍が用いたガス兵器にはフェンタニルが入っていたといわれている。
一般に出回るヘロインにはさまざまな混ぜ物が入れられているが、 'Ace of Hearts'、 'Bud Ice'、 'Income Tax'、'Theraflu'などと呼ばれるフェンタニル入りのヘロインは、昨年あたりからのトレンド製品で、その昇天度の高さに魅せられた使用者のなかには、東部地区だけでもすでに30人以上の死亡者が出ている。
●別居の事情
date: 02/07/2014 00:27:08
フィリップ・シーモア・ホフマンの死体が発見されたのは、
35 Bethune Street の月1万ドルの家賃のコンドミアムだったが、彼は、Jane Street に440万ドルのアパートメントを所有しており、そこには、パートナーのMimi O'Donnellと3人の子どもたちが住んでいる。
ミミ・オドネルは、ホフマンが監督・主演した『
Jack Goes Boating』(2010)で、コスチューム・デザインを担当している。
なぜ、昨年秋に彼が自宅を離れて、近所にコンドを借りるようになったかはわからない。
The National Enquirer誌は、この間の事情を、ホフマンの同性愛問題に関係づける。ホフマンの死の第一発見者であったデイヴィッド・バー・カッツ(David Bar Katz)は、彼との同性愛関係を告白しているという。しかし、カッツ自身は、この記事がでっちあげだとし、告訴の準備をしているという。
(
International Business Times, February 5, 2014 15:37 PM GMT)
●密売人
date: 02/07/2014 01:33:16
フィリップ・シーモア・ホフマンが摂取し、死に至らしめたヘロインを密売した容疑で2月4日に逮捕された4人のうち、ロバート・ヴァインバーグ(Robert Vineberg)は、ロバート・アーロンの名で知られたマルチなジャズプレイヤー(サックス、フルート、ピアノ、ギターなど)でもあるが、警察の容疑では、ドラッグの密売に関わっていたという。
Robert Aaronのディスコグラフィー →
Discogs
彼の演奏"Trouble man" →
YouTube
チャイナタウンやリトルイタリーに近い彼のアパートメント (302 Mott Street)からは、大量のヘロインバッグが発見された。
ホフマンは、以前からここに通い、薬を買っていたという。警察は、月曜に張り込みをし、2月4日の火曜に現場に踏み込んだ。
ロバート・ヴァインバーグは、シンガー・ソングライターのクリスティーナ・ソト(
Christina Soto)の継父であるが、彼女は、継父が以前に薬物の密売をしてはいたが、いまはしていないと言っている。→
MailOnline
[コメント]: 社会人円山
date: 02/07/2014 08:21:12
おはようございます。
フィリップ・シーモア・ホフマンのような、大物の俳優は、彼を取り巻くスタッフのような存在がしっかりしていて、こういう事態を未然に防ぐのが普通、みたいな私の思い込みがありますが、実際は、「プライベートな事柄」として扱われるのでしょうかね?彼、個人の問題、というか。薬物使用の是非ではなくて、死んでしまうには惜しい人物であり、年齢じゃないですか?日本の「芸能」のイメージだと、俳優やタレントに何かあった時に、本人よりも事務所の人間が、説明したり釈明したりするので、なんとなくそういうイメージがあるのですが。
ハリウッド俳優と背広組の関係というのは、そういうイメージとは全然違うものなのでしょうか?
[リスポンス]:T.K.
date: 02/08/2014 18:48:57
コメントありがとうございます。
もちろん、メディアへの代理人のコメントはありますが、「世間をお騒がせして申し訳ありません」なんてものはないですね。
今回の場合、日本なら、観客を失望させたとか、薬物取引に関わったとかいうことに非難が行くでしょう。
表現と表現者と表現者個人を分けるタテマエ・習慣が、表現をなりたたせているわけですが、日本の表現は、これがが混然一体となっている流儀(それも習俗のようなもの)ですから、佐村河内守みたいなことになると、全部ダメということになるのでしょう。習俗が違うのです。
●演技の代償
date: 02/09/2014 00:46:57
フィリップ・シーモア・ホフマンの内輪だけの
葬儀(2月7日)と前後して、彼への本格的な追悼文が掲載されるようになった。
『
Esquire』の
Tom Junodによる「
Philip Seymour Hoffman's Final Secret The cost of holding up a mirror to those who could barely stand to look at themselves」から、その一部を紹介しておきたい。
彼は、陰気な奴を演じたが、陰気に演じることはほとんどなかった。彼が得意としたのは、人間の孤独――絶好調のヒロイズムとはあまり関係ないが、日常的な共感とは関係のあるおよそ非映画的なたぐいの孤独と、人間的な自己認識には不可欠の呪いだった。彼は、自分を眺めることがほとんどできないひとびとのまえに鏡を立て、まわりの誰かをかいま見るだけでなく、ちゃんと見ることをうながした。彼が演じたのは、自分がニセモノであることを知っているニセモノ、自分が腹暗い人間であることを知っている腹暗い人間、欲求不満の愛に苦しむしか能がないひきこもりの人間、非の打ちどころのないマナーでもったいをつけた耐え難く鼻息の荒い奴、最悪がただの始まりにすぎないことを知っているらしいがために人生で最悪のことに耐えうる天真爛漫な男、であった。こうした役柄を統一しているものは、彼が役柄にもたらしたストイックな落ち着きであり、フィリプ・シーモア・ホフマンが誰を演じようとも、フィリップ・シーモア・ホフマン自身は保護されているということをわれわれに確信させる堂々たる集中力であった。
●暗殺
date: 02/09/2014 04:18:44
有名人が死ぬと必ず「陰謀説」がもちあがる。フィリップ・シーモア・ホフマンに関しても、早くも、彼の死ががサイエントロジー教会の復讐であったという説が浮上した。
Anonymous Cowardというブロガーが書いた
短い文章で、思いつきの域を出ない気がするが、これをさらに発展させる文章(→"
49 Bags: The Philip Seymour Hoffman Conspiracy")が書かれ、今後さらにいろいろとりざたされそうである。
ホフマンが「暗殺」されたのは、彼が『ザ・マスター』(2012)でサイエントロジーの創始者L・ロン・ハーバード(ラファイエット・ロナルド・ハバード)をパロディー化して演じたからであり、この映画のためにもう一人の死人が出ているという。ホフマンが演じるランカスター・ドッドという人物の説を真正面から批判するジョン・モアという人物を演じたクリストファー・エバン・ウェルチである。
ジョン・モアは、映画のなかで、すべての病気は、「過去の生にアクセスすることによって」「何千年、何兆年の過去に始まったかもしれない病気の治療が出来る」とするドッドの説(Cause Methods)に異論を唱え、それは「新興宗教」(cult)だと断ずる。冷静にたたみかけるモアと次第に激昂するドッドとのなかなか迫力あるシーンである。
この説は、すべての病気は遺伝子に書き込まれているという考え方に似ていなくもないので、かならずしも荒唐無稽とも言えない。そしてこの辺が、サイエントロジーにトム・クルーズやジョン・トラヴォルタをもはまらせる秘訣であるが、しかし、クリストファー・エバン・ウェルチは、『ザ・マスター』に出演する以前から肺癌と闘っており、2013年12月2日にサンタモニカの病院で亡くなっている。が、ひょっとして、その死に方に秘密があるのだろうか?
●依存症と法
date: 02/10/2014 02:56:12
ドラッグに関わった者が犯罪者としてだけでなく、道徳的に断罪される日本とはちがうといっても、アメリカでも、ドラッグの過剰摂取によるフィリップ・シーモア・ホフマンの死を「自業自得」とみなす傾向はある。が、それならば、「ドラッグの取り締まりをもっと厳しくすべきだ」という考えが多いかといえば、そうではない。もともと国家にたよるよりも自力やファミリーやコミュニティーの自治を優先する風潮は根強く、逆に、薬物にたいする国家の規制がホフマンを殺したという意見もある。このへんが面白い。
俳優でミュージッシャンで、薬物依存症から復帰した経験のある
ラッセル・ブランドは、『
The Gurdian』(2/6)に寄せた「フィリップ・シーモア・ホフマンは超愚かな薬物規制のもうひとりの犠牲者である」というエッセーのなかで、「ここには、解かれるべき謎なぞはない。彼は、薬物依存者であり、その死は避けられなかったのだ」と言う。
「この悲しい喪失に含まれているのは、快楽主義(ヘドニズム)の完全な欠如である。多くの、おそらくたいていの薬物依存者とおなじように、ホフマンは、死んだときひとりぼっちだった。これは、どうしようもなくものさびしい状況だ」。「依存症とは精神の病であり、これについては多くの混乱があり、この病は、薬物依存を犯罪とみなす法律によってとほうもなく悪化されている。もし薬物が不法なら、薬物を使う者は犯罪者になる。われわれは、このまちがった前提のうえにモラルの尺度を置いているのであって、誤った道に迷い込み、われわれが住み慣れた景色が解決をあたえるどころか、問題を増やしているのである」。
「ポルトガルやスイスのように、薬物にかんして進んだ、寛容な法律を導入した国々では、犯罪率の減少と薬物関係の死亡率が明白に減っている」。「われわれは、現在のシステムが機能しなくなっているのを知りながら、それを無視し、無関心になって支えているのだ」。
「フィリップ・シーモア・ホフマンの死は、依存症が見分けにくいものであることに気づかせる。依存症は悲しく、非合理で理解しがたいものであることを。が、はっきりわかったことは、われわれが、依存症をどうあつかってよいかわからない文化のなかにいることである。もし、この病が精神的傷痕の網の目のなかに織り込まれていなかったら、ホフマンは死んだだろうか? 依存症にさいなまれているひとびとが悩んで当然だと信じなかったなら、どうだったろう? もし薬物が合法化され、コントロールされ、専門家によって管理されていたら、ホフマンは薬物の過剰摂取をしただろうか? 最も重要なことは、この状態に悩むひとびとにとって必要なものが、援助と寛容と理解の環境であるということにわれわれが社会としてこだわることではないか?」
●独占インタヴュー
date: 02/10/2014 23:53:10
フィリップ・シーモア・ホフマンに薬物を提供したとして2月4日に逮捕されたミュージシャンの
ロバート・ヴァインバーグは、現在、ラガーディア空港にほど近いRikers Island(島全体が刑務所等の矯正施設)に拘置されているが、『
New York Post』紙は、2月8日に独占インタヴューを行った。あまり内容のあるインタヴューではないが、刑が確定しても、まして拘置中に〝獄中インタヴュー〟などできない日本とは隔世の感がする。
「俺のせいじゃない、もし現場にいたら、助けられただろう」とヴァインバーグは言い、自分の逮捕は「スケープゴート」だとする。
が、ホフマンのコンドで見つかった73袋のヘロインを売ってはいないというヴァインバーグは、ホフマンがこの4か月間ドラッグと闘っていたことを知っていた。「去年の10月に会ったとき、ハイだった」。その後、彼は、新『ハンガー・ゲーム』の撮影でアトランタに行かなければならないので、28日間のリハリビを行い、12月のボイスメールでは「いまはクリーンだ」と言ってきたという。しかし、年末には、連絡が出来なくなり、薬物依存の状態にもどったのではないかと、ヴァインバーグは言う。
ヴァインバーグは、ホフマンが「ハードコアな中毒者」であったことを認める。1日ヘロインを10袋は使った。これは、〝平均的〟なジャンキーの2倍の量であるという。コロンビア大学のヘロインの専門家Dr. David Rosenthalによると、「すぐに余分の袋に手を出し、それが増えていって、どれだけ使ったかわからなくなる。そうしてオーバードースに至るのです」。
ヴィンバーグの弁護士は、彼がホフマンへの薬物の提供者であるよりも、「麻薬の危険な使用で結びつき、それといっしょに闘った真の友人同士だったのだ」と言っている。
●中毒の宗教性
date: 02/12/2014 02:57:30
フィリップ・シーモア・ホフマンの薬物事故死がきっかけとなって、薬物中毒や依存症の問題が活発に議論されはじめた。
ホフマンが昨年あたりに受けた回復プログラムは、AA (Alcoholics Anonymous)のような〝伝統的〟なものだったらしい。そうしたプログラム(12段階のステップを踏んで中毒から脱することを目指すので〝12-step program〟や〝12-step based rehabs〟とも呼ぶ)にたいして別のオールタナティヴを提唱している
St. Jude Retreatsの
スティーヴ・スレイト(Steven Slate)は、〝12-step program〟の問題点を4つ挙げる。
1.ドラッグやアルコールに対して無力であることを教える点
2.宗教的になることないしは、教えられたことに対してスピリチュアルな信仰を持つことへ強いプレッシャーをかける点
3.時間と生活がかかる点
4.このプログラムを受ける者同士のあいだには敬愛心がとぼしく、敵対的で抑制しあう点。
スレイトは、この4つの点について詳細な解説を加えるが、St. Jude Retreatsの治療法では、通常、ヘロインの中毒者がプログラムの終了後わずか数か月のあいだに79~100%の者が依存に立ち戻ってしまう( the National Drug and Alcohol Research Center in Australiaの2005年の調査)のに対して、38&の者が依存から脱しているという。
スレイトによれば、問題は、既存のプログラムでは、酒や薬物に対して厳格に禁欲的な姿勢を作ろうとすることだという。St. Jude Retreatsのプログラムでは、たとえばアルコール依存症の者が、復帰後、友人と交流のなかで飲むことは依存に立ち戻ったとはみなさない。
ホフマンが、禁欲かリスキーな薬物使用かの二者択一の〝リカバリー・カルチャー〟に染まっていたことはたしかである。しかし、だからといって、オールタナティヴな治療法を採用していれば彼が死なずに済んだといった単純なものではなく、彼だけでなく、社会一般がみなすこれまでの欲望や快楽そのもののとらえ方の変革が要求されている。
この場合、薬物を複数の仲間同士で用いれば、危険が軽減されるということにはならないだろう。そもそも、ヘロインのような薬物には、それを〝孤独〟に摂取するというある種の孤立カルチャーがまつわりついている。一人でこっそりとやることが快楽なのであり、その次に訪れる絶頂の快楽が価値であるという文化に深く染まっているのである。
スレイトが言っている、既存の復帰プログラムの宗教性についてわたしが思うのは、おびただしい数の宗教であふれるアメリカで薬物中毒が多いことと、その復帰プログラムの宗教志向とは表裏一体になっているのではないかということだ。アメリカのアルコール中毒者にしても薬物中毒者にしても、半端でない者がおびただしくいる。その飲み方や摂取し方は、まるで宗教的信条を実践するかのようである。そして、だからこそ、そうした中毒の〝解毒〟も、同じ宗教的・スピリチュアル的な方法でなされることになる。
その意味で、スティーヴ・スレイトの提案は、広義の宗教と一体になった(アメリカの)生活をその根本から変革することを提起しており、その語の本来の意味でラディカル(radix=根)なのである。-
●帝国の死
date: 02/12/2014 04:46:30
中毒や依存症の〝宗教性〟について書いたが、英語の
addict には、〝加わる〟〝連合する〟といった含意があり、日本語の〝中毒〟や〝依存〟とはかなりニュアンスがある。
ニューヨークでアル中の回復プログラムを受けているアメリカ人とつきあったことがあるが、そのひとは、楽しく、当然ちょっとぐらいアルコールを口にしてもいいような雰囲気になっても、頑として一滴もアルコールを飲まなかった。一旦口にしたら、止まらなくなるという恐怖感をいだいているようだった。そこには、ある種、神を欺いてはならないという罪の意識が働いているような気がした。
神を崇める宗教は、神と信者との一対一の対話を前提とする。ここでは、分裂した自我は許されず、もし自我が分裂するとしたら、その一方の自我は悪魔の化身なのである。
しかし、ニーチェ的な神の死からはるかに遠くに来ているいまの時代には、複数多数性の〝自我〟はあたりまえであり、身体的に〝孤独〟であるからといって、孤立しているわけではない。それどころか、たったひとりでいながら、あなたは多数の仲間に囲まれて祝祭的な気分のなかにいるかもしれないし、あるいは、多数の自我・敵の反乱をどう取しきろうかという悩みと焦りのただなかにいることもある。
依存症や精神疾患に対して、集団療法の効果を過信することがあるが、集団で話しあったり、ワークショップをやったりしても、従来の〝孤独〟のなかに多数の〝自我〟がいる状況に対してはあまり効果がない。
フィリップ・シーモア・ホフマンは、有名人として多数の知人がいたし、友人にも恵まれていたはずだ。が、それにもかかわらず、彼が〝孤独死〟をしたのは、それを〝哀れ〟だなどと同情する問題とは全く次元の異なる問題があったからである。彼は、明らかに。〝ひとりでいること〟が最高に楽しいというカルチャーのなかにいた。それは、集団から解放されてひとりの個人になるというのとも違う。それは、必ずしも集団から身体的に距離を置かなくても不可能ではない〝孤独〟である。
ホフマンが、昨年、ミミ・オドネルと一緒に住んでいたアパートメントから出たのは、彼の薬物依存がひどくなって、オドネルから追い出されたという話があるが、それは、彼が染まっていた〝孤独〟志向を全面的に展開するには好都合の条件となった。
しかし、それでは、彼が家族といっしょに住み続けていたら死なないで済んだかどうかというと、それはわからない。この〝孤独〟志向には、性的なパートナーといっしょに住んでいるにもかかわらず、ひとり自慰にふけったり、集団的な作業のあいまにトイレに行き、その狭い空間で注射を打つというようなことを楽しいと感じるようなところがあるからだ。つまり、ここには、普通の意味での集団でなにかを共有するよりも、自分のなかの内在的な他者たちとともにいることをよしとする姿勢があり、それが、あたらしい集団性や共有性になってしまっているのである。
それは、精神医学的には、〝分裂〟であり〝統合失調〟かもしれないが、別の観点からすると、決して〝分裂〟などしていないし、そもそも〝統合〟を求めていないのだとすると、前提自体を変えなければ、まえには進めない。
この孤独でない孤独は、そのひとりの身体のなかにおびただしい数の〝自我〟を内在しているとしても、身体外の世界との関係では孤立し、完結してている。つまり、この身体は、その内部の〝自我〟たちに対して《帝国》の機能を果たしているのである。
とすれが、孤独でない孤独のひとの死は、《帝国》の死であり、崩壊である。また、その彼ないしは彼女の薬物による高揚や、その結果としての死は、《帝国》の繁栄や反乱や崩壊としてとらえなおされなければならない。
孤独死が暗いイメージでとらえられるが、今後、ひとはますます孤独に暮らすようになる。他人といっしょにいるときでも、自分と自分のなかの〝自我〟たちを意識し、周囲からいっとき(あるいはいつまでも)孤立する度合いはますます高まるだろう。
帝国は、他の帝国を服従させようとする。そのために、個人=帝国と個人=帝国との関係は、今後ますます厳しく、おりあいのつけにくいものとなる。すでにいまの個々人は、さまざまな間接化の装置(ケータイもその素朴な装置の一つ)で武装し、直接の対立を避けている。おそらく、帝国の共存には、この方法しかないだろう。
しかし、他方で、こうしたあらたな《帝国主義》が昂進するなかで、《帝国》内の〝自我〟たちもかわらざるをえない。つまり、いまそれらが〝悦楽〟や〝絶望〟とみなしていることが、別のものになる可能性がある。ホフマンは、化学物質に頼って《帝国》の祝祭を催したが、それは、祝祭の方法としても、また鎮魂の儀式としてもあまりに旧すぎる。彼の死は、旧い《帝国》の死にすぎなかったのかもしれない。
[コメント]: 社会人円山
date: 02/12/2014 20:33:26
こんばんは。
先日、あるラジオ番組で、売れっ子の精神科医が、「近代以降、言われてきた「個人」、「個人の自由じゃないか。」等、個人、個人と言い過ぎたんですよねぇー。集団から影響を受けない個人などいないわけですから、そこのところを僕らは反省する必要がありますね。」というようなことを言っておりました。
わたしはその時に、「ん?!」と感じたのですが、それはおそらく粉川さまの言う、
>前提自体を変えなければまえには進めない
に対応するからなのですね。精神科医とすれば、前提を変えられるのは困るのでしょう。
震災以降に叫ばれた、「絆きずな」とか、「頑張ろう○○○」みたいな掛け声も、どこかで、前提を変えられるよりは、従来通りの人と人とのつながりを強調しておいた方が良い、というシステムの無意識みたいなものを感じます。学校教育のなかでも、「道徳」の時間を復活させては?なんて話しもあるようですし。そういう状況で、「孤独でない孤独」の持ち主という自覚が出来始めた、わたしに出来るささやかなことというのは、「孤独」や「無縁」というものをマイナスのイメージから脱却させ、「孤独上等!」「無縁上等!」の身振りで生きることかもしれません。
[リスポンス]:T.K.
date: 02/12/2014 21:37:12
コメント、ありがとうございました。
そうですね。前提を変えられてしまうと困るということで「普通」が保たれているのでしょう。
しかし、佐村河内守の事件は何なんでしょう? 感動したってひとたちはどうしたんでしょうか? 「内部事情」がバレたら感動も変わるのでしょうか?
結局、感動なんてものは、マスコミが持ち上げたとか、「みんな」がいいと言っているといった「外部事情」で決まっちゃうのですね。
重要なのは、そのあいだなのに、「内部」や「外部」の動きでどうにでもなってしまう・・・。
New York Timesの専属批評家のA. O. Scottのシーモア・ホフマン追悼は、彼がその出演作のなかで、<「孤独」や「無縁」というものをマイナスのイメージから脱却させ>たことだというような意味でした。
●日記が発見された
date: 02/14/2014 02:49:42
フィリップ・シーモア・ホフマンに関する「最新」のニュースは、彼の「
日記が発見された」というものである。
しかしながら、多数掲載されたほぼ同一内容の記事を読むと、その情報源は、「a police source」とあり、警察の事件担当の刑事か誰かがメディアにバラした話がもとになっているらしく、およそ信憑性がない。
とはいえ、このことを最初に報道した
NBC Newsによると、ホフマンは、その手書きの日記のなかで、ヘロイン中毒からの回復プログラムに通い、中毒の克服と闘っていることや、新しい女性とつきあい、ミミ・オドネルと三角関係に悩んでいることが書かれているという。
しかし、2巻から成るその日記の文字は読みにくく、書き方も「意識の流れ」(ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』などの手法)のようで、判読がむずかしいという。が、それをもって「悪魔との闘いのようだ」というのはどうだろう? うっかり読みにくいメモや日記などを残すとこういうはめに陥る。
●無料上映
date: 02/14/2014 17:20:51
ミネアポリスの
St. Anthony Main Theatreは、フィリップ・シーモア・ホフマンの死を悼み、2月14日から『ザ・マスター』(~20日)と『カポーティ』(~17日)を
無料上映するという。こういう粋な企画があるのはすばらしい。
●依存症とはなにか?
date: 02/21/2014 04:15:30
フィリップ・シーモア・ホフマンのヘロイン依存とその帰結としての死を、彼の過失とか愚かな選択とみなす意見に対して、精神科医の
ジョン・ツィリンパリス(John Tsilimparis)は、中毒とか依存症はれっきとした病気であり、患者には選択の余地などなかったのだという説得力ある解釈を提示している。ジョン・ツィリンパリスは、強迫神経症患者へのセラピー過程をドキュメントしたテレビのシリーズ番組 "
OBSESSED"で有名である。
「
フィリップ・シーモア・ホフマンの再発:選択ではなくて帰結」という寄稿文のなかで、ツィリンパリスは、「全米で日に300人がドラッグのオーバードースで死ぬが、彼はその一人だった」と言う。
「彼は、ひとを殺す厳しい慢性病に冒されていた」のであり、愚かな選択をしたどころか、「いかなる選択もないと感じたからこそ、薬物摂取をぶり返すことになったのかもしれない」のである。
しばしば、不法薬物からセックス、脅迫的な買い物、ギャンブル等にいたる依存症は、意志の弱さから説明されることがあるが、「依存症とは、原理的に、個人の脳の生化学的な配列の不均衡の結果である。この不均衡のために、個々人は、ノーマルな気分を維持し、苦悩の状態を調整するために薬物を求めやすくなる。この不均衡に由来する心的な痛みと慢性的な不快さが、依存症で薬物を摂取するはるか以前から存在するのかもしれない」。「多くの中毒者は、鬱、激しい不安、双極性障害などのようなまえからある精神の諸条件にさいなまれている」。
非常にむずかしいのは、「いまのところ、依存症は治療不可能だということだ」。だから、「依存症は、いつも、依存の再発一歩てまえのところにいるのであって、[禁断や意志的摂取の]選択のてまえにいるのではない」ということなのである。
とすると、依存症患は、周囲の人間による保護的処置以外に当面、悲劇的な帰結を緩和する方法がないということだろうか?
[コメント]: 社会人円山
date: 02/21/2014 08:22:48
おはようございます。
こちらの記事に触発されて、脳内麻薬 中野信子著(幻冬舎新書)を読みました。そのなかに、
「コカインや覚醒剤のもたらす快感はその物質がもたらすのではなく、ドーパミンがもたらす快感です。もともと私たちを努力させるためのご褒美であるドーパミンですから、それが大量に放出される誘惑に打ち勝つことは、私たちの脳にはできないのです。」という一文がありました。
確かに、「じゃあどうすんの?」と思いますが、電子的ななにかで、とりあえずのドラッグ効果を代替し、徐々に軽くしていく、なんていう治療はできないのでしょうかね?儲からないから誰もやらないかもしれませんが。「やっぱりホンモノじゃないと」と、かえってホンモノの良さを強調する結果につながるか・・・。
[リスポンス]:T.K.
date: 02/22/2014 03:08:47
素人考えを書いても仕方がないですが、ジョン・ツィリンパリスが言う通りだとすると、依存症は不治であり、致命的な段階にエスカレートしないためには、ある程度「依存症」を維持するか、別の依存症に移していくしかないようですね。これについては、日本のサイトにも多くの記事があります。
不十分ながら、そのための薬もありますが、それを電子的にやるというのは、今後の課題でしょう。非常に興味深いエリアだと思うし、ラジオアートも関連すると思います。
自由ラジオをやってハイになるひとはずいぶん見ました。
●エイミー・アダムス
date: 02/22/2014 04:11:08
ホフマンに関する最新の話題は、2004年に書かれたという「遺言」が発見され、彼が所有する不動産などをパートナーのミミ・オドネルに捧げること、息子(当時は下の子どもたちはまだ生まれていなかった)はニューヨークのマンハッタンで育てることなどが書かれているという。
これは、書かれたのが2004年だということで、今後、法的な問題が起こり得るという指摘もある。→
詳細
もう一つは、ホフマンの死後数日後に開催されたジェイムズ・リプトンの「インサイド・アクターズ・スタジオ」のゲストに出演した
エイミー・アダムスが、ホフマンを涙ながらに回想した話とそのビデオ映像である。放送は、2月19日に行われ、いまでは
YouTubeでも見ることができる。→
詳細
この映像を見ると、エイミー・アダムスはとても心の優しいひとだという印象を受ける。が、その意味では、ホフマンと共演した3作『
チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』(2007)、『ダウト あるカトリック学校で』(2008)、『ザ・マスター』(2012)では彼女の役に無理はなかったが、目下アカデミーの主演女優賞にノミネートされている『アメリカン・ハッスル』の役は、逆に、いささか「善良」すぎる彼女には、無理があるような気がする。
●保釈
date: 02/23/2014 22:42:54
フィリップ・シーモア・ホフマンにヘロインを売り、その死のきっかけを作った容疑でRikers Island刑務所に拘留されていたロバート・ヴァインバーグが、2月21日、$40,000の保釈金を払い、拘留を解かれた(
The New York Daily News)。
ヴァインバーグが逮捕されたのは、ホフマンのケータイに彼の電話番号があったことと、彼のロフトに踏み込んだ警察が300袋のヘロインを発見したことだけであり、ホフマンが過剰摂取したヘロインをヴァインバーグが提供した証拠はみつからなかった。
そのため、彼の拘留理由は、問題の300袋のヘロインが売買目的であったかどうかにしぼられたが、それはあくまで「自分用」であるという理由で異議を申し立ててきた。
今回の保釈措置は、ヴァインバーグが、1日に10袋のヘロインの摂取を必要とする中毒患者であり、身体の衰弱が激しく、拘留には耐えられず、早急にリハリビ施設に入りたいという嘆願が認められたことによる。たしかに、
YouTubeに見える彼の法廷での姿は、かなりの衰弱が感じられる。
近年ヘロインへの依存症がひどくなり、ジャズ・ミュージシャンRobert Aaronとしての活動がままならなくなっていたヴァイバーグを惜しむ声がある一方、ホフマンの死のきっかけをつくったとして、彼は本格の売人で、古くはあの
ジャン=ミシェル・バスキアにまで薬物を提供していたなどというゴシップを流す者がいる。アメリカでは、ヘロインの売買の罪は最高25年の実刑となり、売ったら最後と覚悟しなければならない。
[付記]
date: 03/01/2014 00:33:26
映画では、ロバート・ヴァインバーグの保釈のような場合、たいてい裏取引がある。発見された300袋のヘロインを売買用ではなく、自分用とみなすことを条件に、その入手元をバラすという取引だ。警察は、それによって、密売人よりも一段上を捕まえることができるからである。ただし、映画では、たいてい、こういう取引をすると、厳しい仕打ちに遭う。ヴァインバーグは病院に逃れたが、安全では決してない。
●〝誤報〟の補償
date: 02/26/2014 18:48:18
The National Enquirerが、フィリップ・シーモア・ホフマンの友人のデイヴィッド・バー・カッツがゲイ友だとみずからインタヴューで告白したと報じことについては、
すでに書いたが、
New York Timesによると、この件は、カッツが訴えを条件付きで取り下げることで落着したという。その条件とは、未製作の映画脚本に対しホフマンを記念して授与される基金を設けることである。基金の額は、年間$45,000で、The National Enquirerが負担する。
The National Enquirerの記事では、カッツは、ホフマンが彼の面前で何度もコカインを摂取するのを見たと書いたが、カッツをそれを全面的に否定している。同誌は、2月26日付けで、New York Timesに1ページを割いて謝罪文を掲載するという。
●おそまつなメディア
date: 03/01/2014 00:13:28
フィリップ・シーモア・ホフマンの友人のデイヴィッド・バー・カッツがゲイ友だとみずから告白したという「インタヴュー」を載せた『The National Enquirer』が、カッツに訴えを起こされ、ホフマンを記念する特別基金を樹立する示談におさまった件はすでに書いた。TNE誌もずいぶんいいかげんなことをすると思ったが、事実はもっとおそまつなものであることがわかった。
New York Postなどの報道によると、インタヴューは、たしかに「デイヴィッド・カッツ」の発言にもとづいたものだったが、このカッツは脚本家でホフマンの親友であり、彼の死の第一発見者であったデイヴィッド・バー・カッツではなかった――カッツちがいだった――というのである。
TNE誌のライターは、ミドルネームのないDavid Katzの電話番号を見つけ、電話インタヴューをしたのだった。折しも、この
ニュージャージーに住むデイヴィッド・カッツ氏(フリーランスのTVプロデューサー)はビールを何本も空けて酔っぱらっているときに電話が来たものだから、その勢いで口から出まかせの話をし、ライターはそれを真に受けてコラムに書いてしまったのだという。
ホフマンの親友のほうのカッツ氏は、自分が全く話したことがないことが記事になっているのに驚愕し、5000万ドルの訴えを起こしたわけである。
マスコミを騙した「日本のベートヴェン」は確信犯だったが、こちらは、口から出まかせでマスコミのいい加減さを暴露し、なおかつ夢のある基金の誕生の緒をつけたのだから、結果的にはアクティヴィストの役割を果たしたことになる。
[コメント]: 社会人円山
date: 03/01/2014 06:24:29
おはようございます。
同じ「騒動」でも、日本のそれとは着地点が違いますね。「日本のベートヴェン」の件から、基金は生まれえないですね。
わたしは、自身のホームに入居する男性をその人の妻が入院する病院に「お見舞い」として連れていったら、看護師に、同性同名の別人を紹介され、「俺の女房がこんなに太ってしまって。声まで変わっちゃってる!」と、3分くらい、ちぐはぐな会話につき合わされたことがあります。
相手の女性も、ベッド上でもうろうとしながら、「この人はおとうちゃんじゃないよー」とか言っているのに、亭主のほうは、「おまえ、俺のことがわかんなくなっちゃって・・・。」という感じで、大爆笑でしたが。これも「取り違え」という「おそまつ」が生んだハプニンングでしたが。
[リスポンス]:T.K.
date: 03/01/2014 19:15:18
この「とりちがえ」は、ホームの管理の「いいかげんさ」の結果で、TNEのライターのいいかげんさに通じるところがあるかもしれませんが、ここでは、「亭主」も「妻」も、ニュージャージーのカッツ氏のような演技はしていないですね。誰もだましてはいません。ですから、「大爆笑」は気の毒な感じがします。
この話は、わたしには、むしろ、認知症のひとをどうするかという問題を考えさせました。
●鑑識結果
date: 03/01/2014 19:01:24
CNN等の報道によると、2月28日、フィリップ・シーモア・ホフマンの死因が強度の配合禁忌による「事故」と特定されたという。鑑識の結果では、彼は、ヘロイン、コカイン、ベンゾジアゼピン、アンフェタミンなどを複合的に摂取したことによって呼吸困難に陥ったと判断できるという。
おそらく、上記の薬物を摂取したのち、最後にヘロインを静脈に注射したことが決定的になったと考えられるが、このヘロインの混合物や配合率に関してはまだつまびらかにはされていない。
[コメント]: 社会人円山
date: 03/01/2014 22:17:34
>複合的に接種したことによって呼吸困難
ドラッグをやる人たちのあいだでは、「複合的な接種」はよくあること、なのですかね?
それとも、ある程度の「上級者」のたしなみなのか。
本来のドラッグ(お薬のほう)は、そういった事故を未然に防ぐために、「治験」が行われますよね。友人が治験のバイトにいっていたことがあります。
複合的な接種は、治験なき身体実験みたいなものだと思いますが、その世界では、配合比率の常識、スタンダードみたいなものがあるのですかね?いや、その黄金比率を探るために、深みにハマるのか。
[リスポンス]:T.K.
date: 03/01/2014 23:18:12
わたしはドラッグはやっていませんから、わかりませんが、想像では、「黄金比率を探る」なんて理性的なものではなくて、もっとなりゆきまかせのものだと思います。
だるい快楽の薬を飲めば、覚ましたくなるのでその系統のものを飲む。あんまりハイになったら、ベンゾジアゼピンでドローンとする・・・そのアップアンドダウウンになるのではないでしょうか?
ホフマンは前日からそんなことをやっていたのでしょう。いや、真相はわかりません。おっしゃる通り、演技のための「探究」だったかもしれません。
●注射をするオスカー像
date: 03/03/2014 03:35:31
アカデミー賞の発表までわずかとなったが、賞の選考にホフマンの「事故死」はどのような影響をあたえるだろうか?
Daily Newsによると、ストリート・アーティストの
プラスティック・ジーザス(Plastic Jesus)は、例の金色のオスカー像が腕に注射を打っている等身大のイミテーションを作り、ハリウッド・ブルバード周辺に並べているという。
エド・ラッシュとジョージ・クロマティの皮肉なフォークショングの名を取ったプラスティック・ジーザスというこのアーティストは、これまでにも、社会批判的なパブリック・アート作品を制作してきた。
今回の作品は、ジョン・ベルーシ、ヒース・レジャー、フィリップ・シーモア・ホフマンのような有名人が死んだときだけ話題になるドラッグの事故が、ハリウッドでは日常茶飯事であることに注意をうながすためだという。
●役に入れ込む演技
date: 03/06/2014 01:10:25
フィリップ・シーモア・ホフマンの47作品から彼の熱演シーンを抜き出し、編集したビデオ "
P.S. Hoffman (A Tribute)" が、Vimeoに発表された。
編集したのは、"The Lost & Found Shop"(2010)以来、"Beautiful Prison"(2012)、"Juggle & Cut"(2013)などを監督・編集している
セレブケレブ・スレイン(Celeb Slain)。本名はアレグザンダーだが、「セレブ」と名乗っているだけあって、
ジェイムズ・フランコに似たハンサム男。YouTubeには、おそらく自分で作ったのではないかと思われる
インタヴューもある。日本の「イケダハヤト」に通じる自己顕示性であるが、たぶん今後はこういう感性が普通になっていくのだろう。
約21分のこのVimeo映像ではホフマンが、ロバート・デ・ニーロ、トム・ハンクス、ライアン・ゴスリング、トム・クルーズ、イーサン・ホーク、ポール・ニューマン、ブラッド・ピット、ロビン・ウィリアムズ、フィリップ・ベイカー・ホールアンディ・ガルシア、マーク・ウオーバーグ、ビル・パクストン等々と共演しているのを目の当たりにできる。
ホフマンには絶対負けられないという勢いで演技している相手とのシーン(たとえば『
M:i:III』のトム・クルーズと)ではっきりわかるが、ホフマンは、〝役に入れ込む〟俳優であることがわかる。〝役に入れ込む〟というと、スタニスラフスキーを継承したアクターズ・スタジオの「メソッド」、その卒業生のデ・ニーロやアル・パチーノを思いつくが、「メソッド」ともちがう独特の〝入れ込み〟の方法を見出したのだろう。
スレインのこの『
Tribute』を見ると、ホフマンは、トム・ハンクスのような〝カメレオン〟系の俳優ではなく、文字通り役に入れ込んでしまう俳優であることがわかる。と同時に、一旦役に入れ込んで撮影なり舞台なりが終わったあとの虚脱感は相当なもので、そこから次の役に飛躍するためには、何かの助けが必要になることが容易に想像できる。
ただし、ホフマンのような演技スタイルは、今後、次第に「古典的」なものとみなされるようになるのではないかとも思う。つまり、俳優個人としての〝内的〟自我をかぎりなくゼロにし、演技上の〝外的〟な自我を極限まで顕在化するという方法ではなく、双方をシームレスに横断するような演技がより「いま的」とみなされるような傾向であるような気がする。
今回の
アカデミー賞で受賞した作品や俳優は、ほとんどが〝役に入れ込む〟タイプの「古典的」作品ばかりであったが、いずれは『her 世界でひとつの彼女』やそこでのホアキン・フェニックスの演技のような異化された演技が普通になっていくのではなかろうか?
[コメント]: さえぼー
date: 03/15/2014 12:45:10
全く本題に関係ないことなのですが、この方はセレブではなくケイレブ?さん(Caleb Slain)ではないでしょうか。ツイッターにいらっしゃるようです。 @CalebSlain
[リスポンス]:T.K.
date: 03/15/2014 14:20:26
さえぼーさま
親切なご指摘ありがとうございました。たしかに、本人が自己紹介しているYouTubeのクリップ("Interview with Caleb Slain")を聴きますと、<ケレブ>が原音に近いですね。早速訂正します。
http://www.youtube.com/watch?v=wVPj-P07OX4
このビデオの1:08ぐらいのところです。