粉川哲夫の【シネマノート】
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7月公開作品短評
★★★★★ 海洋天堂 (水族館の近未来都市的要素と古い街並みとの対比が、病で死につつある父親と自閉症の――時間意識を逃れている――息子との差違にリンクする妙)。
★★★★★ ちいさな哲学者たち (言葉の重視、考えることは言葉にすることという発想は「近代」のものだが、そこを通過しなければどうにもならないということが福島原発の事故でわかった。子供の口から鋭い発言がありなが、それを急進化しないのが残念)。
★★★★★ サンザシの樹の下で (シャイなふたりが文革の不自由な環境のなかでつつましく愛しあう。が、それが可能だったのは、男がエリート軍人の息子だったからではないか? 悲恋の描き方は見事だが、確信犯的に観客を泣かせることで階級差へのチャン・イーモーの「復讐」のようなものを感じた)。
★★★★★ デビル (久しぶりのシャマランだが、今回の「怪奇」は底が浅い。ドキッともゾッともしない)。
★★★★★ いのちの子ども (どこかにヤラセ的なものを感じてしまうのは、偏見かもしれない。あるいはイスラエルのこういう「人道主義」がパレスチナを追い詰めるのかもしれない)。
★★★★★ 黄色い星の子供たち (これでもかこれでもかとナチスの悪行を描くのは、歴史を忘れないという点では得難いことだとしても、感傷主義的に想起するのはそのつど忘却することではないか? 一度も想起せずに忘れるよりは、そのほうがましかもしれないが)。
★★★★★ 人生、ここにあり! (80年代のイタリアはシラケの時代ではあったが、70年代後半からのさまざまな運動で着火された新しい方向は、ネオリベラリズムにからみとられたものばかりではなかった。ここに登場するいずれもワケありの人々が70年代のラディカリズムを理論でではなく体現している)。
★★★★★ ふたりのヌーヴェルヴァーグ (「ふたり」はむろんゴダールとトリュフォーだが、ふたりが文字通り協同していた時代から決裂の時代までを、両者の「分裂した」申し子であったジャン=ピエール・レオに焦点をおいてたどっているところがミソ。決して決して「大学教授が書いた教養課程の入門用テキスト」などではない)。
★★★★★ 復讐捜査線 (娘の仇を父親がうつ典型的な復讐劇だが、型を押さえて手堅く作られている。メル・ギブソンも枯れた味を出している。一応、敵は核兵器の製造実験の利権にからむ会社の上層部と政治家であり、放射能汚染の怖さも描かれる)。
★★★★★ おじいさんと草原の小学校 (実話にもとづくストーリーだが、学校と教育のドラマとして「感動的」に仕上がっている。84歳の老人が小学校に通い、若い女性教師が彼を支えるが、感傷主義的な「愛」などに走らないところがいい。イギリスのケニア支配への批判も一応押えている)。
今月のノート
デビル モールス アジョシ リメンバー・ミー スリーデイズ さすらいの女神たち ハートブレイカー やがて来る者へ ハウスメイド マーガレットと素敵な何か ゲーテの恋
2011-07-19
★★★★ ●やがて来る者へ (L'uomo che verrà/The Man Who Will Come/2009/Giorgio Diritti)(ジョルジョ・ディリッティ)
◆1944年にボローニャ近郊でナチは子供を含む村民771名を虐殺した。村の名から「マルザボットの虐殺」と言われる。ここは、パルチザンの拠点であったことから、ナチはパルチザン一掃の名のもとのこの虐殺を行った。映画は、わずかに生き残った(実際には生き残りはいないという)少女(Greta Zuccheri Montanari )の回想として事件まえから1年ほどのあいだの村の日常と惨劇とを描く。
◆少女を演じるグレータ・Z・モンタナーリは入魂の演技だし、村の描写、室内の物たちのエイジングもしっかりしている。しかし、結局、この映画も、なぜこういう残虐行為が起こるのかということをとらえきってはいない。最初は、村にやってきて村人とも「人間的」に対応するナチだが、ありきたりの反ナチ映画にくらべればはるかに抑えているとはいえ、野蛮で変態的な種族としてナチをとらえることにとどまっている。ほかにどういう方法があったのかはわからない。が、これでは「むかし酷いことがあった」という話で終わってしまう。
◆憎々しげではないが、ナチは機械的に村人を殺す。しかし、殺害はそんなふうにはなされないのだと思う。殺される側にとっても殺す側にとっても、殺害は単純ではないはずだし、映画表現はそれを単純に描いてはならない。
◆少女は、機転をきかせて生まれたての赤子、自分の弟を救い出す。それは「感動的」であるはずだが、話が上手すぎるという印象を与えもするのだ。
◆戦争であれ不幸な出来事であれ、それを描くために子供を前面に出す映画の奥行きは知れているように思える。
(アルシネテラン配給)
2011-07-06
★★★★★ ●アジョシ (Ajeossi/The Man from Nowhere/2010/Jeong-beom Lee)(イ・ジョンボム)
――俳優、アクションともに申し分ないが、最近の韓国映画は、何を描くかがなくなちゃったみたいですね。
――ならば、映画の映画に徹するとか、ハリウッド映画のリメイクをやるとか手がないわけではないが、映画を創る状況が変化したんだろうね。
――映画のなかで、ソン・ヨンチャンが演じるワル社長が、「軍事政権にもどらないと、国が滅びる」という台詞を吐くが、これは、いまの韓国映画の本音かもしれない。「敵」も「味方」も、映画にするほどはっきりしないわけだ。
――しかし、ウォンビンはすばらしい演技を見せたね。若き日のキアヌ・リーブスみたいだ。男の色気がある。タイ出身のタナヨン・ウォントラクルもよかった。ふたりの対決シーンはアクションとしてなかなかです。
――俳優陣がみな第1級なので、個々のキャラクターが別個に浮き彫りになる感じだ。闇組織の元締役のキム・ヒウォン、そのクレイジーな弟役のキム・ソンオもみな胴に入っている。ユーモラスな刑事役のキム・テフンは、ほとんど余裕で存在感――あまり活かされていなかったが――を出していた。
――『冬の小鳥』で圧倒的な演技を見せたキム・セロンも、もっと凄い演技が出来るのに、手持ちの演技の安全圏を越える演技はしていない。
――薬物や臓器の密売がテーマだが、「白い粉」のあつかい方なんか、あまりに杜撰すぎる。このへんが、この映画のダメなところだ。粉の袋を裂いて、いきなり舐めるなんて、昔の映画の薬物捜査シーンのパロディみたいだ。それを「本気」でやって見せるんだから、見るほうはこけてしまう。
――キム・セロンが駄菓子屋みたいな店(六平直政にメガネをかけさせたみたいな役者は誰だろう?)で万引きするシーンで、ウォンビンがとがめようとすると、「子供は万引きしながら大人になる」と言って、見逃す。こういう部分が、韓国でも日本でもなくなってきたんだろうな。
――血生臭い映画だが、非常にモラリッシュだね。韓国では薬物規制が厳重だから、密売者は徹底的にやっつけられることになる。ソミ(キム・セロン)の母親(キム・ヒョソ)は薬物中毒で、密売の取引に巻き込まれて、殺される。それも、臓器を抜き取られての死だ。モラリッシュな仕打ちとしては「極刑」だ。
――まあ、薬物の密売と万引きを比較するのはナンですが、この峻厳さからすると、「子供は万引きしながら大人になる」という寛容なモラルは認められないだろうね。
――いや、それは全然ちがうんじゃない? 一方は汚い商売でしょう。汚い商売を放任するのと、子供の小さな万引きを放任するのとでは意味が違うでしょう。不正な商売をすれば、薬物であろうが何であろうが、制裁を受けないではいないと思うね。ソミの母親は、そういう商売に加担させられたという点では同情に値するとしても、加担はしたわけだ。彼女は、密売者によって惨殺され、密売者は最終的にチャ・テシク(ウォンビン)によって粛清されるわけだ。
――モラルを持ち出すと変な方向に行っちゃうが、この映画の背景には、中国嫌悪が感じられる。どこかの台詞で臓器売買の元締めは中国人であることをにおわせていた。だから、この映画は、モラル教育の機能もないわけではないが、むしろ「戦争」ドラマじゃないかね? 密売戦争の話。外国に油断するなっていう隠れたメッセージが聞こえる。
(東映配給)
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