粉川哲夫の【シネマノート】
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★今月あたりに公開の気になる作品:
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チェ 28歳の革命/39歳別れの手紙 地球が静止する日 オーストラリア ベンジャミン・バトン レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで プラスティック・シティ チェンジリング 20世紀少年―第2章―最後の希望 ゼラチンシルバーLOVE
2008-12-24_2
●チェンジリング(Changeling/2008/Clint Eastwood)(クリント・イーストウッド)
◆「古典」の仕上がりと艶(つや)。冒頭に「A True Story」と出るので、またかと思ったが、見終わって、こう出すのが適切なことがわかった。事件の経緯を知ると、「1920年代のロス警察って、こんなにひどかったのかぁ」という思いが強くなるからである。三浦和義氏が殺されたのもこの「伝統」からかもしれない。 ◆1920~30年代としては少数派に入るシングルマザーを演じるアンジェリーナ・ジョリーがいい。失踪したわが子ウォルター(ガトリン・グリフィス)の生存を信じ続ける母親という役で彼女はこれまでとは一味違う演技を見せる。当時のファション、化粧、職場(電話会社の交換部門の主任――交換手の後ろをローラースケートに乗って監督する)、街路、車・・・の映像は、映画としての完成度が高い。
◆実の息子が失踪後、警察が発見したという「息子」は、顔も背の高さも違い、しかも局部には割礼の跡がない(ユダヤ人ではないということ)。めちゃくちゃな話だが、警察は、抗議したジョリーを精神病院に監禁してしまう。その新しい「息子」を確信犯的に演じるデヴォン・コンティがうまい。彼が息子になりきった背景にはそれなりの事情があった。この映画は、各登場人物がそれぞれに事情を負っており、それらが重なり合う接点で事件が起こる。逆に言えば、ウィルターの失踪事件は、錯綜するそうした線の重なり合う部分にすぎず、この映画は、この時代の雰囲気を活写しているともいえる。
◆警察が、安手の粉飾を急いだ理由の一つには、アクティヴィストのグスタヴ・ブリーグレブ牧師(ジョン・マルコヴィッチ)が、ラジオ放送を使って行う糾弾を早急に回避したいと思ったこともある。1928年という時代にラジオを体制批判に利用するのは、非常に革新的であった。
◆どの役も、ある意味では、「らしさ」を極めた典型だが、その職人芸的な「うまさ」で楽しませる。まず、いいかげんで大柄(おうへい)な警部を演じるジェフリー・ドノヴァンがいい。連続誘拐殺人犯を演じるジェイソン・バトラーも、過去の傷が彼をそうさせているらしいということを感じさせる(その意味ではステレオタイプの)犯罪者を演じて、印象に残る。ステレオタイプが悪いとはかぎらない。
◆[試写室のこと]京橋から散歩がてら中央通りを歩き、丸善をのぞいたりして、地下鉄に乗ったら、逆方向に乗ってしまい、清澄白川まで連れていかれた。水天宮のあたりを散歩したい誘惑にかられたが、気を取り直し、もどる。さいわい、席はあった。5分後、上映開始。何と、上手がいて、オープニングの最中に数人がぞろぞろと入ってきて、スクリーンに影を入れた。誰も文句を言う人はいなかったが、織田裕二流に「何やってんだよぉ!」とどなりたかった。
(東宝東和試写室/東宝東和)
2008-12-19
●レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで(Revolutionary Road/2008/Sam Mendes)(サム・メンデス)
◆『ディパーテッド』でも『ワールド・オブ・ライズ』でも、いい中年になりはじめたディカプリオだが、あたりまえの中年男を演じると、「織田裕二」的な「とっちゃん小僧」の気が出てしまう。演技としては悪くないが、本作の役は適役とはいえない。なぜかどこかで必ず「大胆な」セックスシーンを演じる傾向のあるケイト・ウインスレット。2度ほど見せるセックスシーンに、「これだけ?」と思っていたら、最後に屈折した強烈な「性表現」を見せた。
◆イントロでジ・インクスポットのジャズバラード「ザ・ジプシー」が流れる。ディカプリオは地域の劇場でアマチュア劇団の舞台を見ているのだが、このボーカルとだぶって、いま舞台で演技しているケイト・ウィンスレットとの出会いを思い出している。「ザ・ジプシー」は、1946年の作だから、二人が会ったのは、まだ戦後の一時期だろう。いまは1950年代なかば、場所は、アメリカのコネチカット州の郊外タウン「レボルーショナリー・ロード」。結婚して7年たっている。二人は結婚し、ディカプリオはニューヨークの事務機会社(やがてコンピュータを作り始める)に勤め、二人の子供にめぐまれ、「何不自由」生活をしているはず。が、イントロですでに二人が決して幸せではないことが示される。舞台がうまくいかなかったからだけではなく、ウィンスレットは、夫に対して、コミュニティに対して根底的な不満があるらしい。帰りの車のなかで、二人は激しい口論をする。
◆1950年代のアメリカ人は、うわべとホンネとが大いに異なる生活を強いられた。とりわけディカプリオやウィンスレットのようなミドルクラスの人々は、見かけは小奇麗(こぎれい)でリッチで安全な生活をしているようでいて、その実、他者への不信や組織や国家の官僚主義に疲れきっていた。映画には明示的には出てはこないが、そもそもこの時代、マッカーシーの「赤狩り」旋風が巻き起こっていた時代であり、アメリカは「世界の検察官」としてアグレッシブな姿勢を強めていた。そういう国家の気分と個々人の日常とは不即不離の関係にある。この映画は、その意味では、きわめて政治的なのだ。コネチカットに同名の町があるのかどうかは知らないが、「革命路線」とは、皮肉である。
◆男は、日本でもかつて言われた「ネズミ服」つまり同じ色、同じ型のユニフォームのような背広を着て、定時に会社に行き、きわめて官僚主義的な上下関係のなかで働き、女は家事に専念する。オフィースはマンハッタンにあり、住まいは郊外の新興のベッドタウンにあるというのもこの時代に主流となった。まさにフレデリック・ルイス・アレンが『オンリー・イエスタデイ』(Only Yesterday, 1931)、『シンス・イエスタデイ』(Since Yesterday, 1949)、『アメリカ社会の変貌』(The Big Change, 1952)で見て来た「アメリカ的生活様式」の具体的現実である。そこでは、「アメリカ人」は、何の不都合もなく、「アメリカン・ドリーム」をエンジョイしているように見えるが、個々人は、デイヴィッド・リースマンが分析した『孤独な群集』(The Lonely Crowd, 1950)の一人だったのである。
◆リチャ-ド・イエイツの原作では、時代は、1955年に設定されているが、『エデンより彼方に』は、その2年後の1957年のやはりコネティカットの郊外都市が舞台になっていた。場所の若干の違いということもあるが、1955年と1957年とでは大分違う。1957年には、黒人の選挙権を許す最初の公民権法が成立する。この映画では、ディカプリオとウィンスレットは、そういう時代の変化を予感することもなく、むしろ、(経済の活況とは裏腹に)ますます息苦しくなって行く(個人レベルの問題といえがそれまでだが、ミクロ・ポリティクスの観点からみれば、社会と個人の状況は不即不離の関係にある)。そういう現実を変えるよりも、逃れるために、二人はパリへ移住しようとする。だが、実のところ、二人がどこまで本気でそうしようとしていたかはわからない。
◆そして、その間に、デカプリオは、会社のタイピスト(ゾエ・カザン)と浮気し、会社からは、引き抜きの誘いがあり、それを察した会社は、新しく進出するコンピュータ部門に昇進させようとする。さあ、どうするデュカプリオという状況になるが、ウィンスレットの方は、どんどん追い込まれていく。彼女の場合、彼にも不満があるが、根本的に、主婦であること、郊外生活をしていることがいやなのだ。家事育児に縛られた女が誰しも感じたあせりのなかにいる。パリに移住するといって切符まで買ってしまう行為も、そういうあせりの表現なのだ。
◆こういう時代を肯定できるタフな「醜いアメリカ人」を代表するのが、キャシー・ベイツが演じる不動産業のヘレンだ。とはいえ、彼女のタフさは、寡黙な夫(リチャード・イーストン)と、数学を専攻したが、精神を病んでいる息子ジョン(マイケル・シャノン)との代償のうえで保たれているかのようだ。その意味で、彼女のアグリーさ、攻撃性と対照的に、夫と息子はこの映画のなかで一番「正常」なのだとも言える。
◆セリフまわしや構成は、かなり演劇的である。
◆そういえば、ディカプリオとウィンスレットとキャシー・ベイツは、『タイタニック』で共演していた。
◆この時代、中絶は宗教的な「悪」であり、法律的にも禁止されている。だから、自前で中絶が出来るというような道具も売っていた。この映画のクライマックスにこの道具が登場する。リアルに映すわけではないが、強烈である。時代の痛みもひしひしと伝わってくる。
◆ヘレンのような人物を「テフロンのようだ」と言うが、状況に恥じらいもなく同調していく彼女のあっけらかんとした変節の大声が響く最後のシーンで、夫は、補聴器のボリュームをかぎりなくゼロに絞る。聞いちゃいられないとばかりに。「正常」な者は、耳をふさぐか、さもなければ、息子のように狂うしかない時代。サム・メンデスは、『アメリカン・ビューティ』でも郊外生活の中流階級の悲劇を描いたが、本作は時代をさかのぼった続編であり、現代アメリカの味気なさの源流を確認しているような作品である。
(パラマウント試写室/パラマウント ピクチャー・ジャパン)
2008-12-18
●ベンジャミン・バトン(The Curious Case of Benjamin Button/2008/David Fincher)(デイヴィッド・フィンチャー)
◆フィンチャーの才能を余すところなく見せる傑作。が、生まれたときに「老人」で、成長するたびに「若返り」、つには「赤ん坊」になって死ぬというコンセプトは、すべて原作者F・スコット・フィッツジェラルドのもの。とはいえ、19世紀から20世紀初頭が舞台の原作を現代に移し、現代的なテーマを奥深く読み取れるようにアレンジした才能はフィンチャーのもの。
◆[試写室] あとから隣に座った女性が、映画の最中、イヤリングをいじる。むき出しの白い腕と腕時計が光り、映画が見にくい。でも、それは、映画への彼女の身体表現だったのではないか?
◆フィッツジェラルドの原作『The Curious Case of Benjamin Button』(1922)とのちがいはどうか? 小説では、ベンジャミンは、1860年に生まれ、1920年代に死ぬ。そのあいだに米西戦争(1898年)と第1次世界大戦があり、兵隊に志願する。このあたりは、映画では日米開戦に時代をずらしている。ベンジャミンは、映画では捨てられ、養老院で働く夫婦に拾われるが、原作ではバトン家で育てられる。不思議なのは、小説のなかには、彼の実母のことがほとんど出てこないことだ。映画で母親が難産の末に死ぬことにしているのは、わかりやすい処置である。ちなみに、当時は家で子供を生むのが普通だったのだが、バトン夫妻は、「50年も早く」病院で出産することを選んだと原作には書いてある。
◆ベンジャミンが「幼少時代」(ただし、外観は老けている)に出会い、好きになる少女デイジーは、映画では幾度かの別離と再会の末、彼を看取る。「赤ん坊」に「老けた」彼は、老デイジーの腕のなかで息を引き取る。原作では、デイジーにあたるヒルデガードは、途中で彼に愛想をつかし、消えてしまい、彼を看取るのは、ナナという看護婦である。
◆原作は著者が関係者にインタヴューしてまとめたという形式をとっている。そのスタイルは、映画では、ベンジャミン自身のナレーションを中心にした回想の形式に変換されている。この映画に見られる複合的な時間の流れもフィンチャーらしい凝った構成だ。まず、死の床に横たわるデイジー(ケイト・ブランシェット)の回想の時間。彼女の世話をする娘キャロライン(ジュリア・オーモンド)が、旅先からデイジーに送り続けた手紙や絵葉書を読むというナレーション的時間。それらによって先導され、展開する映像のドラマ的時間(フィンチャーらしく、回想シーンの映像にはフィルムの傷を入れている)。さらに映像のなかのベンジャミンの意識に現れる過去の時間がある。また、映画が進行する「現在」の時間のなかで、老デイジーが寝ているニューオリンズの病院のエリアにハリケーンが接近しつつあり、最後には河が決壊して院内に大量の水が流れ込むという設定にもなっている。
◆面白いと思うのは、人間が外見的には「老人」(映画では80歳、原作では60歳ぐらい?)として生まれ、外見的には段々「若く」なっていって「赤ん坊」として死ぬということはありえないにもかかわらず、この映画を見ると、人間は、実は、歳をとるごとに「若く」なっているのではないか、「赤ん坊」というのは、実は「老人」なのではないのかという考えに襲われる。映画にも出てくるが、ベンジャミンは、幼児になるにつれて「認知症」に陥る。このドラマは、人間の「普通」の過程を逆転させているわけだから、「普通」の人間は、生まれたときに「認知症」から出発して、それを克服するのかもしれない。
◆映画は、青年に達した(しかし外見は依然として「老人」)ベンジャミンが、女を始めて経験したり、船乗りになったり、面白い人物に出会ったり、という彼の冒険と人間形成的ロマン(ビルドゥングス・ロマン)を描くが、個人的な成長史と時代の変化とを重ねるスタイルは、『フォレスト・ガンプ/一期一会』を思い出させる。その意味で、この映画は、個人史と時代とを同時に見る新しい視点を提供しているとも言える。
◆フィンチャーらしく、特殊技術を駆使して、ベンジャミンの年令変化に対応した仕掛けを見せてくれる。まだ体も顔も小さいが、顔だけはひねこびている「幼」ベンジャミンの顔がブラッド・ピットであることがわかったとき、場内には笑いが起こった。デイジーは、バレリーナとなり、海外で公演することになるが、その舞台で見せるバレーをケイト・ブランシェットは、クイックターンの一部のシーンでスタンドインを使った以外はすべて自分で踊ったという。
(ワーナー試写室/ワーナー・ブラザース映画)
2008-12-17
●オーストラリア(Australia/2008/Baz Luhrmann)(バズ・ラーマン)
◆70年代のウィットラム社会主義政権でラディカルな変革をとげたオーストラリア。女性の社会的地位、原住民への差別など、その前と後とでは別の国のおもむきがあった。そうした時代への変わり目を生きた女性をニコール・キッドマンが演じる。米豪合作作品だが、オーストラリア出身の俳優・監督によるため、1980年代のオーストラリア映画ブームのころの雰囲気を思い出させる。
◆しかし、こういう大掛かりな作品では仕方がないのかもしれないが、オーストラリア映画とはちがう、全体として「オーストラリア」のステレオタイプ表現が目立つ。つまり、トーンは、きわめてハリウッド的なのだ。アボリジニの(混血)少年ナラ(ブランドン・ウォルターズ)の視点を選んでいるのも、「良心的」であることを装っている感じ。その延長線上で、彼の祖父キング・ジョージ(デイヴィッド・ガルピリル)は、アボリニの長老として神聖化され、超能力をもっているかのような描き方をする。アボリジニの文化には凄いものがあることは知っているが、この映画のようなステレオタイプは飽きてしまった。
◆最初に日本軍の攻撃のシーンがあるが、オーストラリアにとって、日本軍の攻撃はもっと深い憎しみをもって受け取れめられていたはずだ。そういうのは、むしろ、偏見たっぷりに表現した方がいい。
◆ロンドンからやってきて、亡き夫の代わりに、1500頭の牛を移動しなければならなくなったイギリス貴族の妻サラ(ニコール・キッドマン)は、荒くれだが腕の立つカーボーイのドローバー(ヒュー・ジャックマン)にその仕事を頼むが、彼は乗り気でない。そのとき、名誉を捨てて彼女が彼に懇願するのだが、その身ぶりが日本の「土下座」に似ているのを発見して、面白かった。土下座は西洋人には通用しないということを聞いたことがあるが、そうでもないのか?
◆子供に弱いサラが、子供にせがまれて歌を歌わなければならなくなり、ふとかたわらの新聞に"The Wizard of Oz"(映画『オズの魔法使い』)の広告を見つけ、そのテーマソング"Over the Rainbow"を歌う。"Oz"とは、通常、「オーストラリア」の意味であり、キッドマンがこの歌を選んだのは、ぴったりなわけだが、『オズの魔法使い』の原作小説(Frank Baum: The Wonderful Wizard of Oz/1900)では、Oz=Australiaとは明示されてはいないらしい。
(フォックス試写室/20世紀フォックス映画)
2008-12-16
●地球が静止する日(The Day the Earth Stood Still/2008/Scott Derrickson)(スコット・デリクソン)
◆1951年の「地球の静止する日」(「が」と「の」だけが違う)のリメイク。宇宙人を演じるキアヌ・リーブスの方が旧作のマイケル・レニーよりかっこよく見えるのは見る側の感覚の変化か。ジェニファー・コネリーは持ち前の不安そうな目がここではあまり活かされず、ただ驚いているだけ。旧作を踏襲したロボットの形は、新作の現代的な環境では馬鹿げて見える。
◆新しいバージョンには似合わないロボットが登場するが、これは、1951年の「地球の静止する日」(「が」と「の」だけが違う)を踏襲している。やめた方がよかった。キアヌ・リーブスの方が、マイケル・レニーよりかっこいい。
◆今的な問題が盛り込まれてはいるが、決して第1級の作品ではない。キアヌはいいが、ジェニファー・コネリーはおきまりの不安そうな目をワンパターンで見せるだけ。
◆この映画で一番リアリティがあるとわたしが感じたのは、最初の方で、地球外生物学者のヘレン・ベンソン(ジェニファー・コネリー)が、非常事態発生ということで政府の人間にほとんど強制的に連れて行かれた場所で、他の著名な学者たちとともに、持っていたケータイを没収されるシーンだ。いまのアメリカは、こういう強制を平気でやるようになってしまった。その縮小モデルを、空港の通関で体験することが出来る。
(TOHOシネマズ六本木ヒルズ/20世紀フォックス映画)
2008-12-10
●チェ 28歳の革命/39歳別れの手紙 (Che: Part One/Two/2008/Steven Soderbergh)(スティーヴン・ソダーバーグ) part1: part2:
◆日本でもアメリカでも2部に分けて公開されるが、本来1本の作品として見られるべきものだとわたしは思う。2008年のカンヌ映画祭では『チェ』というタイトルで1部と2部が続けて上映されたのは、効果を狙ったためだけではない。手に入るチェ・ゲバラのドキュメンタリーやドキュメントをオタク的に集め、「史実」に忠実にチェの足跡をたどる。それは、ただし、デモのプラカードや売られてるTシャツから想像されるような「かっこいい」ゲバラではなく、病弱(実際、持病の喘息でひいひい喉を鳴らし、杖をついて歩く)なインテリが無理して武装闘争をしている姿である。モラルと啓蒙を説くゲバラは、粛清と独裁と紙一重だが、そこまでは批判せず、至近距離で彼を描く。ただし、新しいデジタルカメラに魅せられたソダーバーグは、戦闘シーンでそれまでのつつましさを逸脱し、ゲバラをかっこよく撮ってしまう。その映像的興奮を除けば、内容的には既存のドキュメンタリーを見た方がよいかもしれない。
◆『チェ 28歳の革命』は、わたしの見方では、ゲバラ(ベニチオ・デル・トロ)がカストロ(デミアン・ビチルが演じるカストロは、背の高さも含めて、やや矮小化されたカストロだ)と出会い、キューバ革命を成功させたという「すぐれた革命家ゲバラ」の映画ではない。むしろ、ゲバラがいかにしてマスメディアに知られていくかというプロセスをたどっている。いわば、今日、ゲバラが何者であるかも知らずに着られているTシャツのなかのゲバラが生まれるまでのメディア前史である。ソダーバーグは、それを決してパロディ化したり、皮肉ったりするのではなく、淡々としたスタイルで描く。
◆『チェ 39歳別れの手紙』でボリビアに潜入し、ゲリラ隊を組織したゲバラは、終始精神性やモラルを強調する。が、集まったゲリラ兵士たちは、飢えており、革命どころではない。飽食のなかで革命はできないかもしれないが、飢餓のなかではなおさら無理だ。ゲバラは、体の弱いインテリから、自分を律してゲリラになった。だから、他人にも克己と自己変革の意志を要求する。しかし、そんなことは誰にでもできるわけではない。彼は布教者であり教育者であったが、「布教」や教育で他人を変えられると信じていた。しかし、人を変えるのは、精神教育よりも「肉体」教育である。食生活が変わったり、住む環境が変わったりすることの方が、人は容易に自分を変えられるものだ。ところが、この映画が描くように、ゲバラたちは、ボリビアで村に食料を調達に行き、断られたりする。救おうとしている貧しい村人に頼み事をするようでは「革命」にならないではないか。これに対して、キューバ革命は、飢餓に耐えながらの「精神」革命ではなかった。キューバがなぜ現在まで「革命」を維持できたはもっとその「物質」生活の面から見当しなおす必要がある。キューバは、禁欲的な「共産主義」にもかかわらず、音楽や踊りは衰えなかった。
◆最初にソダーバーグが「オタク的に集めた資料を使って」とわたしが言った理由は、たまたま『キネマ旬報』(2009年1月下旬号)のための原稿を書くために、最近の新しいデータ(情報公開法でCIAが隠していたデータが見れるようになった)にもとづくドキュメンタリーを何本か見たら、この映画がそれらをほぼそのまま使っているように見える個所が散見されたからである。ソダーバーグは、若いころゲバラ思想に入れ込んだというようなことはなかったらしい。彼の『イギリスから来た男』(The Limey/1999)で、ルイス・ガズマンがゲバラのTシャツを着ていたが、深い意味はなさそうだ。ソダーバーグは、むしろ、ゲバラについてはあまり知らなかったという。だから、映画を撮るにあたって、さまざまなドキュメントを調べあげた。その意味で、この映画は「オタク」の映画である。実際、Roberto SavioによるオーストラリアのSBSのテレビドキュメンタリー『Che Guevara The Body and the Legend』(2007)とか、Erik GandiniとTarik SalehのスウェーデンのSVTのテレビドキュメンタリー『Sacrificio: Who Betrayed Che Guevara』(2001)などの映像をそのまま模写したかのようなシーンもある。
◆『Che Guevara The Body and the Legend』は、映画が描いていない多くの事実を告げており、事実を知りたければ、こちらを見た方がよい。たとえば、ボリビアの軍が、逮捕して殺害した人間が本当にゲバラであることを確認するために、国内外に情報を送ったが、その便宜のために、遺体の手を切り落とし、ハンコのように使って指紋を取ったのだった。これは、ゲバラの遺体発見によって明らかになった。遺体には手がなかったのである。また、CIA文書には切り取ったゲバラの手の写真があったらしい。1995年からゲバラの故郷のアルゼンチンとキューバの文化人類学者の手で、(Vallegrandeの空港に搬送されて依頼行方不明になっていた)ゲバラの遺体探しが始まり、1997年6月27日に発掘される様子がドキュメントされている。こうして、ゲバラは、1997年10月にキューバで公式の埋葬式が行われたのだった。このくだりは、ソダーバーグの映画よりも感動的だ。
◆『Che Guevara The Body and the Legend』は、また、ゲバラが殺害された経緯に関しても、彼が当時の国際情勢の犠牲者であったことを説明している。ゲバラはカストロの僚友だったし、カストロはゲバラを一貫して支持する意志を失っていなかった(映画のなかにも、レジス・ドブレに軍資金を運んでくれるように依頼するシーンがちらりと出てくる)が、カストロは表立った支援をすることができなかった。当時、ソ連への依存(さもなければ、キューバ危機で明らかになったように、アメリカはキューバを粉砕しかねなかった)を強めていたが、ソ連は、ゲリラ戦的な路線を全く支持しなかった。中南米の左翼は、ソ連派で、ゲバラ的な路線はますます浮き上がって行った。彼がボリビアで活動を始めたとき、炭鉱労働者のストが起こったが、彼らとの能動的な連帯活動が出来なかったのもそんな背景がある。
◆『Sacrificio: Who Betrayed Che Guevara』は、文字通り、ゲバラが「犠牲者」(Sacrificio=sacrifice)であったことを描いた実に刺激的なドキュメンタリーである。警察に捕まったレジス・ドブレから出た情報が、ゲバラの逮捕につながったのではないかということがこのドキュメンタリーで追跡されている。しかし、事実を確認するためにErik GandiniとTarik Salehが面会を求めるが、ドブレは拒否。懲りない二人 は、ノルマンディのセミナーに出席しているドブレをつかまえ、突撃インタヴューをする。そのときのドブレの対応があやしい。「そのことはもう忘れた」と言い、質問をはぐらかす。彼は、逮捕され、30年の懲役刑を宣告されたが、サルトルやバートランド・ラッセルらの救援キャンペーンで高まった国際世論で減刑され、3年後にフランスに帰国した。その後、『革命の中の革命』などを書き、ゲバラ主義を世界に広める中心人物になった。しかし、ドブレが逮捕後どのようなことを警察・軍に語ったかは不明である。このドキュメンタリーでは、ドブレが軍と交わした取引したこと(内容は不明としても)を示唆する文書まで出されている。
◆ドブレは、60年代から70年代にかけて、日本では、その『革命の中の革命』などの著書でコワモテの存在だった。本書とカルロス・マリゲーラの『都市ゲリラ教程』、そしてゲバラの『ゲリラ戦争』などが「ゲリラ戦士」の必読書だった。しかし、ゲバラは別として、とりわけドブレのこの本や、当時彼がしきりにふりまいていた言説を卒読してわたしが頭に来たのは、「そういうてめぇは何をやっているんだ?」ということだった。理論や景気のいいアジを垂れ流しているだけで、カストロやゲバラをかさに着ているだけじゃないかという印象がだんだん強くなった。所詮は知識人でロクに鉄砲も撃ったこともないくせに、銃撃戦なんかを扇動するなよという印象だ。彼の扇動で人生を誤った者は、世界に数知れないのではないか? そもそも、70年代には、すでに、戦闘の前衛は、情報と電子テクノロジーに移行していた。銃を使うにしても情報やテクノロジーの知識がなければ、どうにもならない状況が(権力の側から)じわじわと押し寄せていた。そういう新しい状況のなかで、銃で権力を奪還できるという思い込みをふりまくうえで、ドブレは大いに責任がある。しかし、彼はその責任を今日にいたるまで取ってはいない。80年代になって、ミッテラン政権のアドバイザー的なポストにつき、その後は「mediology」なる時代遅れの情報論を提起して、アカデミズムでも権威を確立した。まあ、mediologyなどにいかれるアカデミッシャンもバカとしか言いようがないが。とにかく、その手の「学会」に出席した老ドブレが、会場の庭で前述のErik GandiniとTarik Salehに問い詰められて狼狽する姿は、いまだにドブレを信仰している者は是非とくとながめるべきだ。
◆映画のなかでは、ドブレは、パート2(『チェ 39歳 別れの手紙』)のなかで3回ほど姿を現す。まず、「1967年」という表示が出るキューバでのカストロのパーティのシーンだ。ここで、若きドブレは、カストロの絶大な信頼を得ているかのように描かれる。実際にその時点ではそうだったのだろう。少なくとも、カストロは彼を信頼しており、このとき、ボリビアにいるゲバラに軍資金を運んでくれるように頼む。ドブレは、そのとき、ゲバラに会見し、記事を書こうとしていた。まあ、当時のドブレは、「活動するライター」であり、ゲバラとの会見は、単なる取材とはちがっていたと考えてもいい。しかし、映画で面白いのは、ドブレがゲバラのところに滞在し、その間に状況が思わしくなくなってきたとき(タニア[フランカ・ポテンテ]がトラックに放置した文書や写真を軍に奪われ、彼女自身も病気になる)、ゲバラと話しをしているシーンで、「もし必要なら僕はここに残ってもいい」とドブレが言うと、ゲバラは、「今必要なのは農民たちだ。君はフランスで支援組織をつくって資金や医療品や無線機を送ってくれ」と言う。ゲバラが本当にこう言ったかどうかはわからないが、少なくともゲバラは、ドブレをゲリラとは見ていなかったことがここであらわされている。くりかえし言う必要があると思うが、ゲバラの革命論は、非常にローカルな場を重視するものであって、世界連帯とか世界同時革命といった大風呂敷をひろげてはいない。ただし、だからといって孤立主義ではなく、ローカルな場を一つひとつきめ細かく突出させていき、その結果として世界全体に変化が広がるという理念はあった。
◆ゲバラとドブレが話をしているシーンの少しあと、米軍のゲバラ掃討作戦が開始され、「ボリビア兵を米国特殊部隊に変える」ために「ミッチェル大尉」(ホルディ・モーラ)が到着する。これは、実際には、フェリックス・I・ロドリゲスではないだろうか? 『Sacrificio: Who Betrayed Che Guevara』には、この人物のインタヴューもある。ベトナムで鍛えられ、70~80年代に中南米の反共掃討作戦を指揮した人物だ。いずれにせよ、この作戦でイギリス人ジャーナリストが送り込まれる。ゲバラはこの男が「囮(おとり)」であることを知っており、仲間にもこの人物と会話するなと伝えていた。しかし、このジャーナリストとレジス・ドブレと(画家で作家だがアルゼンチンからゲバラをしたってやって来てゲリラになった)シロ・ブストの3人が、ムユバンバの町で逮捕される(169日目)。ここで注意しなければならないのは、この3人のうち、誰がゲバラの居場所や仲間の情報を警察・軍・CIAに流したかである。これまでは、ブストが似顔絵まで描いて教えたということになっている。しかし、『Sacrificio: Who Betrayed Che Guevara』では、いまスウェーデンに亡命している老ブストにインタヴューすることに成功した。このドキュメンタリーは、ある意味では、彼の疑いを晴らすためのものでもあるかのようだ。このなかでブストは、自分は、たしかに似顔絵を描いたが、わざと違った顔に描いたのだと言っている。彼自身は、決してドブレを非難しないが、このドキュメンタリーは、ゲバラを直接撃ったマリオ・テラン(映画ではクリスチャン・エスキヴェル)にまで執拗な面会を求めたりして(ちゃんとした面会は拒否された)、これまでの定説をくつがえす。
◆映画のなかに、何度か、キーボードの付いた、当時としては先端的な通信装置のクローズアップが映る。そのシーンがあらわれるときは、ゲバラの運命が変わる要所であるという暗示がこめられているかのようだ。つまり、当時すでにCIAは、先端的な通信装置で連絡を取り合っていたということであり、そうした面で、ゲバラの闘いは大仏の手のひらの上で踊っているようなものだったのだ。ゲバラ自身は、ローカルな闘いを望んだ。彼がゲリラとしてボリビアに来たのも、キューバ革命でつくられた自分の虚像を消すためでもあった。しかし、彼の名はすでにマスメディアを通じて知られていたし、ドブレのように、彼の名を世界に広めることが運動の一環だと思い込んでいる(いつの時代にもいる――「広く知られれば知られるほどいい」という馬鹿げた発想)ある種の「信奉者」のために、ローカルな場にとどまることはできなかったのだった。
◆【追記/2009-01-16】地下鉄のなかの動画広告で、ゲバラ帽とゲリラ服まがいの格好をした「宣伝プロデューサー」吉村知己が、この映画を宣伝し、「あなたのなかに革命が起こります」と言っているが、この映画を見ても、この人が意味しているらしい「革命」は絶対に起こらないだろうことは断言できる。
(ギャガ・コミュニケーション+日活)
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