★★★★  眠れる美女 (Bella addormentata/2012/Marco Bellocchio)
 日本では、2010年の『マイ家の妹たち』(Sorelle Mai)が未公開なので、『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』(Vincere/2009)に続くマルコ・ベロッキオの新作。
 交通事故で17年間〝植物状態〟にあった女性の延命か〝自然死〟かをめぐってイタリアの世論がまっぷたつにわれた2009年の「エルアーナ」事件を軸にしているが、この映画は、むしろ、この事件で露呈した権力の手前勝手なやり口、ベルルスコーニ支配下のマスメディアの付和雷同的な姿勢を問題にしている。
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★★★★  ハンナ・アーレント
 映画雑誌の連載「ハック・ザ・シネマ」で、いきなりハンナ・アーレントのことから切り出そうとしたが、アーレントを知らない読者もいるというアドヴァイスをもらい、こんな書き出しにした。
 <膨大な数のユダヤ人をガス室に送ったナチの親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンは、戦後、亡命先の南米でイスラエルの秘密警察によって逮捕・搬送され、裁判にかけられた。マルガレーテ・フォン・トロッタの「ハンナ・アーレント」は、この裁判を傍聴し、『イェルサレムのアイヒマン』を書いた政治哲学者ハンナ・アーレント(バルバラ・スコヴァ)を描く。
 当時の記録映像と音声を巧みに合成し、裁判をリアルに再現した点だけでも、この裁判が忘れられつつある今日、必見に値するが、この映画の奥行はそれだけにとどまらない。>
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★★★★  恋するリベラーチェ (Behind the Candelabra/2013/Steven Soderbergh)
 1950年代から1980年代までテレビと舞台で活躍したポピュラー・ピアニスト、リベラーチェ (1991~1987)と浅からぬ関係のあったスコット・ソーソンの回想にもとづく映画。
 しかし、その邦題にもかかわらず、この映画の主役は、マット・デイモンが演じるスコット・ソーソンである。デイモンの演技はすばらしく、わかい〝純真〟なスコットが、57歳のしたたかなリベラーチェに出会い、愛されるが、やがて無慈悲に捨てられる、養子にするとまで言われた彼は、リベラーチェを訴えるが、最後までその愛は変わらない――といったある種の〝純愛〟物語である。しかしである。そういうふうに〝感動〟するには実在のリベラーチェとスコット・ソーソンをカッコに入れる必要がある。
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★★★★★  スティーブ・ジョブズ (jOBS/2013/Joshua Michael Stern)
 映画は、ジョブズ(サウトン・カッチャー)が、2001年10月23日に、iPodをリリースするシーンをイントロにして、1974年にリード大学でもぐり学生をしている過去にさかのぼる。すでにちょっとひねくれているスティーヴに軽く忠告をする教授の顔がどこかで見た感じだと思ったら、ジェイムズ・ウッズだった。なんかかわいそうな端役。
 最初は、スティーヴのセコい性格をけっこう正確に描く。アタリ社のバイトをしていて、半分はったりで引き受けたゲームプログラミングを友人のスティーヴ・ウォズニアック(ジョシュ・ギャッド)に丸投げし、こちらは商売っ気なしなのをいいことに、アタリ社からは5000ドルの謝礼をもらいながら、彼には350ドルしかわたさない。しかし、こういう描写はすぐに消え失せる。
 ウォズニアックと文字通りのガレージで組み立てたキットをもちまえのはったりで売り込み、アップル社を起こし、成功してマッキントッシュの成功にまで進むが、機能的にはすぐれたマシーン「Lisa」で失敗し、自分が招いたジョン・スカーリー(マシュー・モディーン)の重役陣に追われるが、やがて、経営難に陥ったアップルに呼び戻され、今日のアップルを築きあげる――という「評伝」通りのストーリー。ジョブズのことをあまり知らない観客には、適度の教養になるだろう。
 しかし、この映画の重大な欠陥は、ジョブズがアップルを追われた1985年から一気に1996年に飛んでしまうことである。1996年のシーンは、それまで家庭のことなどかまわなかった彼が、庭仕事をしたり、娘と遊んだりしているところへ、創業時代から彼に経営的なサポートをしてきたマイク・マークラー(ダーモット・マロニー)が彼に三顧の礼をもって迎えに来るというもの。しかし、これはあやまりである。
 この映画では、1985年から1995年という、ジョブズにとっては最高に創造的だった時期がすっぽりと抜けている。アップルを追われたジョブズは、アップルを見返すべくNeXT, Incを立ち上げる。そして、1989年にその第1号機が発表され、年々進化したNeXTは、すぐに「コンピュータのアルファロメオ」と呼ばれるようになる。このコンピュータの優秀さと先見性については、コンピュータ雑誌などにさんざん書き、わたしのサイトにもその一部が載っているので、ここでは書かないが、ちなみに、現在のインターネットのウェブ・ブラウザのもとは、この後継機「NeXTstep」によってプログラムされた。NeXTがなければ、インターネットの普及は大分遅れていたはずである。
 この間の屈折については、『キネマ旬報』(2013年9月下旬号)の連載で、もう一本同時期に公開されるドキュメンタリー(撮影自体は1995年)『スティーブ・ジョブズ 1995――失われたインタヴュー』を論評しながら、分析した(「NeXTはトロイの木馬」)。

★★★★★  マリリン・モンロー 瞳の中の秘密 (Love, Marilyn/Liz Garbus/2012)
 遺品のなかから見つかった手記、未発表書簡など(スタンリー・バックサル、ベルナール・コーマン編、井上篤夫訳『マリリン・モンロー 魂のかけら』、青幻舎でも読める)をグレン・ローズ、マリサ・メイ、ヴィオラ・デイヴィスなどなどの有名俳優が読み、マリリンの表情と雰囲気を作るという形式でまとめられた異色のモンロー伝。マリリンが、その役柄とは逆に孤独で、メディアが要求する自分だけ演じ、少なくとも公開された映画のなかでは決して〝自分〟を曝さなかったということがよくわかる。
 それは、すでに『マリリン 7日間の恋』 (2011) でミシェル・ウィリアムズがはっきりと表現していたことだが、この映画は、上記のほかにユマ・サーマン、ジェニファー・イーリー、エリザベス・バンクス、エレン・バースティン、リリ・テイラー、リンジー・ローハンといった実力ある女優たちがいかにモンローを演じようとしても、本人にはかなわないという証言にもなっている。
 彼女たちは、ミシェル・ウィリアムズから学ばなかったか、彼女の域には達しなかったとも言える。また、同じ技法でエイドリアン・ブロディがトルーマン・カポーティを、デイヴィッド・スタザーンがアーサー・ミラーをといった代役による疑似ドキュメンテイションをやるのだが、これも同じ意味で成功していない。とはいえ、字幕で見る場合には、そうした歴史的証言が訳文で提供されるので、実物をまねようとする役者たちのわざとらしい演技をフィルターにかけることができる。いずれにせよ、既存のフィルムやテレビ映像からとった証言も多数あり、あらためてマリリンを〝他者のいない〟〝ひきこもり〟的な人物としてとらえたこの映画の視点で引用されなおされた主演映画のシーンの数々を見直すと、マリリンモンローという人物の面白さをあらためて思うのだった。


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