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粉川哲夫の【シネマノート】
今月気になる作品
★★★★ コロンブス 永遠の海 (別にそこに行っていなくても、自然に「望郷」を感じさせるのはなぜ? 監督の婦人マリア・イザベル・ド・オリヴェイラに魅惑される――『ぴあ』と『キネ旬』にレヴューを書いた)。 ★★ 運命のボタン (リンク参照)。 ★★★ 9<ナイン> 9番目の奇妙な人形 (リンク参照)。 ★★ グリーン・ゾーン (リンク参照)。 ★★★★ パリより愛をこめて (リンク参照)。 ★★ ザ・エッグ ロマノフの秘宝を狙え (リンク参照)。 ★★★★+♥ ビルマVJ 消された革命 (カムコーダーとネットとケータイを駆使したヴィデオ・アクティヴィズムの最新の活動が描かれる。僧侶すら殺した軍事政権の強引な暴力には負けたが、この記録で個人と少数グループを単位とするトランスローカルな運動の有効性は余すところなく示された)。 ★★★★ 冷たい雨に撃て、約束の銃弾を (リンク参照)。 ★★ エンター・ザ・ボイド (リンク参照)。 ★★★ ローラーガールズ・ダイアリー (リンク参照)。 ★ 処刑人 II (前作では新味のあった「アンサンブル」ガンアクションが、今回はマンネリ。役者としてわずかに見栄えがするのはジュリー・ベンツ)。 プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂 (未見)。 ★ 座頭市 THE LAST (リンク参照)。 ★★★ RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語 (リンク参照)。 ★★ ヒーローショー (リンク参照)。
華麗なるアリバイ マイ・ブラザー アイアンマン2 ザ・ロード セラフィーヌの庭 小さな命が呼ぶとき ペルシャ猫を誰も知らない ぼくのエリ 200歳の少女 ヤギと男と男と壁 トイレット
2010-05-26
●トイレット (Toiretto/Toilet/Naoko Ogigami)(荻上直子)![]()
◆日本人の母親から生まれた3人の日系アメリカ人の子供たち(みな成人)と日本人の祖母が登場するが、舞台はアメリカ(カナダ? 撮影はトロント)で、全篇会話は英語。字幕が付いているから、洋画のようにも見えるが、キャラクターの一人ひとりにくっきりとした味付けをし、それぞれの素材をいかしながら、全体としてバランスよく仕上げた美味い「無国籍料理」の感じ。これなら、言語を越えた観客の口に合うだろう。
◆「今日ママが死んだ」と、アルベール・カミュの小説『異邦人』の書出しのようなナレーションをするのは、次男のレイ(アレックス・ハウス)で、ヴィンテージもののプラモデルを収集している。仕事は、化学実験室のようなところで、友達にはなりきれないインド人の同僚アグニ(ガブリエル・グレイ)がいる。が、自分のアパートが火事になり、大切なプラモデルをかかえて、実家に戻ってくる。そこには、「パニック障害」(Panic Disorder)のためにヒキコモっている長男のモーリー(デイヴィッド・レンドル)と、口数が多くて仕切り屋のリサ(タチアナ・マズラニー)、そして、死んだ母の部屋からほとんど出てこない「ばーちゃん」(もたいまさこ)がいる。彼女は、愛猫のセンセー以外には心を開かないかのよう。すべてちょっとずつ「変」で、レイは、いつも同じ服装(同じシャツを7枚持っているという)をし、同じ周期で日常生活を送っている。
◆荻上作品ではおなじみのもたいまさこの起用は、非常に微妙である。この映画のなかで、彼女が演じる「ばーちゃん」はたった1度しか声を出さない。なぜ彼女が黙っているのかは、子供たちにも、観客にも最後までわからない。表面上は、英語がしゃべれず、無口で、子供たちにはなじめず、おまけに娘(子供たちの母親――俳優としては出てはこない)の死で失意に陥っている・・・という設定である。その態度自体はだんだんほぐれてきて、わずかにほほえんだりもするが、その沈黙は最後まで謎。子供たちは、それぞれに納得したかのようだが、本当に(ドラマのロジックのなかで)そうなのかどうかはわからない。というのも、もたいまさこは、終始、あの意味ありげな目つきを変えないし、どこかでとんでもないことをするのではないかというアブナサを捨ててはいないからである。
◆それが荻上の「隠し味」なのだとすると、その効果は何だろうか? 「ばーちゃん」との意思疎通が一応、前進と展開を見せる。モーリーは、あるとき、母親がまえに使っていた古い、足踏み式のシンガーのミシンを見つけ出し(あるいはその存在に思いついて)、触ってみる。興味が沸き、何かを縫ってみようとするが、使い方がわからないので、「ばーちゃん」に尋ねる。英語と身ぶりで必死で説明(母親が日本人なのに全く英語を解さないというのもミステリーだが、そういうところがこの映画の特異性ないしはイデオシンクラシーでもある)すると、彼女は、巧みにミシンを動かして見せてくれる。このとき、終始無言であるもたいの表情と目つきの尋常ではないところはあまり変わらない。この婆さん、本当は英語がわかるのではないか、わかっていて口をつぐんでいるのではないかという思いがしてしまうのだ。
◆「ばーちゃん」が宇宙人的存在であって、そのまわりにいる「普通」の人間たちが、彼女の存在によって、自分を見出したり、変わったりしていくという形がないでもない。なぜかわからぬが、彼女は、財布に100ドル紙片をどさっと入れており、孫たちに惜しげもなくあたえる。モーリーは、ミシンを教えてもらったことがきっかけでスカートを縫い、愛用するようになり、ここから、彼は、しばらく遠ざかっていたピアノを弾くようになる。彼は、天才的なピアノの才能がある。リサは、エア・ギアに専念するようになり、ヘルシンキで開かれるエア・ギターの大会に出ようと決心するようになる・・・。
◆「ばーちゃん」の態度に一番疑問をいだくのはレイであり、彼女が使ったヘアブラッシの毛を盗み取り、自分の毛と比較するDNA鑑定までするくらいだが、彼が同僚のアグニのいかにも「インド人らしい」明晰なロジックの助けを借りて最終的に到達する結論は、彼女は、日本式(といってもウォッシュレットの)トイレが恋しいらしいということなのだ。彼女は、母親が手を尽くして探しあて、死の直前に呼び寄せたのだという。まあ、このへん、この家族にもさまざまな隠された事情があることが何となく暗示され、登場する人物たちが、みな、一見するほど単純な生活を送ってきたわけではないことが想像できもする。そして、このウォッシュレットも、レイの勝手な解釈だったかもしれないということを思わせるシーンがある。「ばーちゃん」は最後まで謎めいているが、ファミリーという存在そのものが、そもそも謎なのだろう。
◆荻上監督の作品らしく、ちらりと登場する食べ物がみな、魅力的に撮れている。今回は、ギョーザを作り、食べるシーンが2度出て来るが、ギョーザにしたところがなかなかの妙だと思う。この映画でギョーザが出て来るのは、母親がよく作ってくれたという設定で、それを「ばーちゃん」が主になって作るのだが、海外に長く住んだ日本人は一体にギョーザが好きだ。伊川東吾が出演しているフランス映画『Le hérisson』(2009/Mona Achache) には、彼が演じる比較的裕福な日本人が、孤独で本と猫を愛する管理人の老女(ジョジアーヌ・バラスコ)を食事に誘い、みずからラーメンとギョーザを作る。このシーンが決して不自然には見えないところに、在欧経験の長い伊川東吾のアドバイスが生きていると思う。話が横飛びしてしまったが、『Le hérisson』にも、ウォッシュレットのトイレが一つの重要な小道具として登場していたので、思い出したのである。
(ショウゲート+スールキートス配給)
2010-05-25
●ヤギと男と男と壁 (The Men Who Stare at Goats/2009/Grant Heslov)(グラント・ヘスロヴ)![]()
◆すっとぼけた感じが実にいい。ただ、こういうアイロニーやユーモアは、いま風ではないのかもしれない。IMDbの評価が意外と低かった。でも、わたしは、こういうのが好きだ。主役にちかいジョージ・クルーニーは、この種の政治がらみのアイロニーが好きなのだと思う。『ピースメーカー』はちょっとかっこよすぎたが、『シン・レッド・ライン』では、批判されるべき側の軍部の高官を演じ、『』では、この映画と似たアイロニーを共有、みずから総指揮をした『シリアナ』はまさに政治的アイロニーの映画、みずから監督を見事につとめた『グッドナイト&グッドラック』、『さらば、ベルリン』も『フィクサー』も『バーン・アフター・リーディング』も、政治的アイロニーが色濃く、『マイレージ、マイライフ』は、きわめて自虐的な人物を演じた。
◆すぐれていると思うのは、この映画でとりあげられるほとんどすべてのことのなかにアイロニカルな「距離」を挿入している点だ。それは、キャスティングにまで及んでいる。ベトナム戦争で、攻撃しても全然弾が当らないベトナム人の兵士を見て、非暴力こそ最大の戦力だという「啓示」を受けたビル・ジャンゴという男は、最初姿をあらわしたとき、ジェフ・ブリジスとはわからないような小太りの親父を演じているが、米国に帰って、その「啓示」を実践していくにつれて(時代の影響もあり)どんどんヒッピーっぽくなっていき、なんだジェフ・ブリッジスだったのかといいう感じをあたえるように作っている。『ビッグ・リボウスキ』や最近の『クレイジー・ハート』で、ヒッピー・カルチャーの影響が抜けない男を演じていまや彼の右に出る者がいないという映画的記憶(先入見/ドクサ)をうまく利用している。
◆ビルがリーダーになって米軍内に秘密裏に進められたのが「ジェダイ・プロジェクト」で、かねがね軍のなかで超能力を発揮していたリン・キャシャディ(ジョージ・クルーニー)(彼がコンピュータのそばを通ると、画面が崩れてしまう)がオルグされるのだが、彼にインタヴューを試みて、その結果、ビルとイラクまで行ってしまうのがユアン・マクレガー演じるボブ・ウィルトンというジャーナリスト。周知のように、ユアン・マクレガーは、『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』、『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』、『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』の3作で、「ジュダイ」の一人を演じていた。そのため、これは、フザケすぎではないかという意見もある。
◆スプーン曲げの超能力があり、「ジェダイ・プロジェクト」のリーダー、ホスグッド将軍に取り入り、めきめきと頭角をあらわす嫌な奴ラリー・コーパーを演じるのが、ケヴィン・スペイシー。この人は、何をやらせても猛烈うまいから、この山気たっぷりの男を見事に演じるが、『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』で演じた屈折した人格を思い出し、憎いキャスティングだなと思った。こいつが、ビルをプロジェクトから追い出すことになるが、イラク戦争の時代になって、ビブとリンが再会したときには、ビルを雇って心理操作作戦(ラジオ局もある)の戦争株式会社のトップにおさまっているというのもアイロニー。いまや、戦争は、民間委託であり、イラクでもアフガンでも、民間戦争会社に雇われた新「傭兵」が「お国のために」戦っている。
◆この映画のなかで、「ジェダイ・プロジェクト」というのは、米軍が偽装プロパガンダとして似たようなプロジェクトを立ち上げたことをソ連に向けて(単なるプロパガンダとして)宣伝したところが、ソ連がそれを本気にし、サイキックな戦術の本格的な研究と実験をはじめ、逆に米軍は驚いて、あわてて自分のほうでもその方向でのプロジェクトを開始したという話が出てくる。これは、ある点まで本当らしい。たとえば、ラリーが関わったというCIAの「MK-UL TRAプロジェクト」(Project MK-UL TRA)というのがあり、リンが見せる「遠視」(リモート・ヴュー)や「念波」のような実験とか、実際にこの映画の話のようにヤギを殺すトレーニングを受けた兵士などもいたらしい。ちなみに、キリスト教的「常識」では、ヤギは、「悪魔」つまり反キリストのシンボルである。
◆CIAや米軍の秘密戦略に関しては、膨大な資料があるが、日本語の文献でも、大分まえに翻訳されたマーティン・A・リーとブルース・シュレインの『アシッド・ドリームズ――CIA,LSD,ヒッピー革命』(越智道雄訳、第三書館、1992)は、主として薬物の面でのアプローチではあるが、サイキックな意識操作(感覚破壊、睡眠学習、ESP、潜在意識に訴える映像投射、エレクトロニクスによる頭脳刺激、人為的とわからない形で心臓発作やガンを引き起こす化学薬品の開発、磁場、超音波振動、光線エネルギー等による頭脳操作・・)の雰囲気の一部をつかむうえでなかなかいい本だ。その「プロローグ」で次のように言われているが、これは、時代が変わっても続く権力の皮肉であうる。
マリファナ、コカイン、ヘロイン、PCP,硝酸アミル、茸、DMT、バルビツール、笑気ガス、スピードその他のいろいろの、1960年代に闇市にでまわったドラッグのほぼすべてが、実はすでにCIAや陸軍の科学者の手で詳細に研究され、そのいくつかは実際に精製までされていたことがわかった。◆ジョークだらけで、たとえば、ビルの秘密部隊で、パナマの独裁者だったマヌエル・ノリエガの存在を一人の超能力兵士の「遠視」でさぐるシーンがあり、そこでその兵士は、「アンジェラ・ランズベリーに訊け」と答える。実際に尋ねた結果、ランズベリーは「知らない」と答えたという落ちがある。ノリエガは、当時、CIAの捜査の目をかいくぐって、スラムに逃げ、手をやいたアメリカは、実際にこの映画のような「遠視」まで用いて調査をしたらしい。スラムに人が住んでいるにもかかわらず、ノリエガが隠れていると推定されるスラムに爆弾を落としたりもした。この個所は、ジョン・ロンソンの同名の原作では、「クリスティ・マックニコルに訊け」となっているのを映画では「アンジェラ・ランズベリー」に変更したという。クリスティ・マックニコルとアンジェラ・ランズベリの接点は、1984年から1996年まで続いたテレビドラマ「Murder, She Wrote」(殺せと彼女は書いた)の1988年シリーズの「Showdown in Saskatchewan」ぐらいしかないように見えるが、ノリエガ捜査の時点でアメリカでクリスティ・マックニコルがどのように受け止められていたのかをわたしは知らないので、なんともいえない。ちなみに、クリスティ・マックニコルは、「双極性障害」で現在あまり仕事が出来ないらしく、ある種の超能力があるという伝聞があったのかもしれない。なお、アンジェラ・ランズベリーならば、彼女は、上述のシリーズで作家として事件捜査の役割をし、また、朝鮮戦争時代に中国の捕虜になった米兵への洗脳操作のドラマ(冷戦時代の反共意識丸出しの)『影なき狙撃者』(The Manchurian Candidate/1962/John Frankenheimer)(ローレンス・ハーヴェイといういい俳優が出ていた)で陰謀の黒幕としての母親役を演じており、洗脳の歴史ともつながるのである。
LSDの中心的な皮肉は、それが武器と恩寵、精神を支配するドラッグと精神を拡大するドラッグという、それぞれ正反対の道具として使われたことだろう。ふたつの可能性は、ともにそれぞれにユニークな歴史を生み出した。いっぽうでは、CIAと軍の幻覚剤実験に根ざした秘密の歴史、他方では、1960年代に爆発的に台頭したドラッグ・カウンターカルチャーの草の根的な歴史である。
◆ボブが無意識にメモにいたずら書きをしていて出来上がるピラミッドのなかに目がある絵(pyramid eye symbol)は、米ドルのなかにもプリントされているが、これは、フリーメイソンのシンボルだといわれてきたが、同時に、映画では、国際的な、そして長い伝統を持つ秘密組織のシンボルだという映画的記憶がある。したがって、この映画のなかで、ボブのメモのなかにこの絵を発見して、はっとするリンは、ボブとの深いつながりを感じるという設定である。ボブは、胸にこのシンボルを刺青している。
(日活 映画営業グループ配給)
2010-05-19
●ぼくのエリ 200歳の少女 (Låt den rätte komma in/Let the Right One In/2008/Tomas Alfredson)(トーマス・アルフレレッドソン)![]()